橋本裕の日記
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9.日蓮と法華経
法然、親鸞、道元についてはまた折に触れて書くことにする。日蓮を理解する上にも、彼らと対比させて考えるのが分かりやすいと思うからだ。さて、それでは日蓮は天台本覚思想や法華経をどのように理解していたのか。彼の代表的著作の一つである「開目抄」をのぞいてみよう。
<この経に二箇の大事あり。一念三千の法門はただ法華経の本門・寿量品の文の底に沈めたり>
<ここに予、愚見をもって前四十年と後八年との相違をかんがみるに、その相違多しといえども、先ず世間の学者もゆるし、我が身にもさもやとうちおぼうる事は、二乗作仏・久遠実成なるべし>
<華厳ないし般若、大日経などは二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくせ給へり。これ等の経々に二つの失あり。一は行布を存するがゆえになおいまだ権を開かずとて、迹門の一念三千をかくせり。二には始成を言うがゆえに、なお未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり。これら二つの大法は一代の綱骨、一切経の神髄なり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて、爾前二種の失を脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず。二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし>
<本門にいたりて始成正覚をやぶれば、爾前迹門の十界互具の因果を解き顕す。これすなわち、本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし>
迹門の方便品で二乗作仏・十界互具があきらかにされ、凡夫も仏性を具しているから成仏できることが明らかになる。これを受けて本門の寿量品では仏が実は永遠常住不滅であり、入滅は方便であったことが明らかにされる。つまり、われわれもまた永遠なる仏の命を持っていることがわかる。これはどんなSF小説より奇抜であり、驚くべきことだ。
日蓮は法華経の一大事は本門の一念三千だという。本門とはなにか。それは法華経の寿量品であり、そこに説かれている久遠実成の一念三千である。このあたりは難解だ。そこで、もう少し仏教の基本のところから分かりやすく解説してみよう。そうすればこの思想がどんなに壮大なものであり、恐ろしいものであるか分かると思う。
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