橋本裕の日記
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エリック・ホッファーは二十八歳のとき、死のうと思って多量のシュウ酸を飲んだ。ロサンジェルスの貧民街でのことだ。都市労働者の死んだような日常生活に耐えられなくなったからだという。
しかし、ホッファーは自殺に失敗し、あらたな人間として甦った。彼は、<労働者は死に、放浪者が誕生した>と書く。さらに、都会を離れて放浪へと旅立つ門立ちの様子を、「エリック・ホッファー自伝」ではこんな風に書いている。とても気持ちのよい、さわやかな文章である。
<1931年から第二次世界大戦が起こるまでの十年間、私は放浪者として過ごした。自殺に失敗し、小さな袋を肩にかけてロサンジェルスを離れたとき、気持は軽やかだったし、広々とした田舎に出たときには、故郷に戻ったような気がした。恐れるものもなければ、新たな生活を始めるための準備期間も必要ではなかった。ヒッチハイクもせず貨物列車にも乗らず、南に向かって歩き始めた。
・・・気持ちよく歩いていると、詩が浮かんできた。言葉を探す作業は、体を揺らしながら歩く動作とうまくかみ合った。最初の一節はこうだ。
一人で歩くとぞくぞくする 野原が広がり空に出会う そして山は夢のような青の中に浮かぶ 先を急ぐ風がささやいていく>
ホッファーは農場で働き、お金が出来ると図書館の近くに部屋を借りて、好きな本を読んだりしながら気儘に過ごした。そしてまた金がなくなると、仕事を見つけて働く。ひとつの場所に落ち着くことはなく、カルフォルニア州のあちこちの町や農場を渡り歩いた。そこでさまざまな人々と知り合い、ときには一生の思い出となる恋にもであった。
町の停車場で知り合ったヘレンはカルフォルニア大学の美しい女学生だった。彼女はホッファーの勤めていたレストランへやってきて、彼の話に耳を傾け、やがて二人は恋人になった。彼女はホッファーが独学で大学の物理や数学の教科書をマスターしているのを知って、大学の講義を受けるように促した。カルフォルニア大学にはノーベル物理学賞を受けた有名な学者もいた。彼女はホッファーのなかに天才の素質を見出した。
しかし、ホッファーは放浪生活をやめようとは思わなかった。そしてある日、彼女に別れも告げずに町を出た。ホッファーは勉強は好きだったが、大学に残り研究者になろうとは思わなかった。しかし、彼女との別れはつらかった。ホッファーは彼女の面影が忘れられず、彼女はとの恋はついに彼の一生の思い出になった。
農場主や経営者の中には彼の才能や気性を気に入り、友人のように話しかけてきた者もいた。グンゼという裕福な農場主は彼を家に招き、酒やタバコを勧めながら、彼にこんな忠告をした。
「なぜ君のような知性のある人間が人生を浪費しているのだ。知らぬ間に、不自由な一文無しになってしまうぞ。安定した生活なしに、どうやって生きて行くんだ。将来のことを考えたことはないのかい」
「信じられないでしょうが、私の将来はあなたの将来より、ずっと安全です。あなたは農場が安全な生活を保障してくれると考えています。でも、革命が起こったら農場はなくなりますよ。一方、私は季節労働者ですから、何も心配することはありません。通貨と社会体制に何が起ころうが、種まきと取り入れは続くでしょうから、私は必要とされます。絶対的な安全が欲しいなら道楽者となって、季節労働者となって生計を立てる方法を学ぶべきでしょうね」
二人はこうして笑いながら語り合った。ホッファーは十年後に新聞でグンゼの死亡記事を見た。グンゼは遺書を残し、奨学金として50万ドルの寄付を申し出ていた。グンゼは公に発表された遺書の中でこう語っていた。
<現在の経済体制の下では、人は安定した収入源を確保するために半生を費やさねばならない。そして、上部構造を作り上げる時間は後半生に残される。しかし、それに手をつける者は百万人に一人もいない。
・・・それゆえ、フレズノ郡の中高年者に絵筆と絵の具を持たせよう。フレズノの初夏の丘を彩る灰色がかったピンクや淡い金色の組み合わせをキャンパスに描いた者は、まだだれもいない。・・・音楽について。フレズノ郡の住民の心には、何千という新しいメロディが眠っているに違いない。そのメロディを陽光のもとに誘い出し、歌い演奏しよう。もし命に触れるものがあれば、それは賞を獲得すべきだ>(「エリック・ホッファー自伝」より引用)
グンゼは他にも浮浪者用の宿泊施設の建設・維持のために4万ドルの寄付を申し出ていた。ホッファーが出会った頃のグンゼは将来について病的な恐れを抱いていた。しかし、遺書の内容は立派だった。
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