橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
日本国憲法の草案はマッカーサーの指示の下、民政局の24人の委員たちによって、たった1週間でつくられた。職業軍人はひとりもおらず、委員の職歴は、弁護士、ウオール街の投資家、中国専門の歴史家、ジャーナリストなど、まちまちだった。女性も3人いた。
私が不思議だったのは、専門家がひとりもいないのに、よくもまあ寄せ集めのアメリカの市民たちが、それまでまったく未知の国であった他国にやってきて、憲法などという大それたものを、それも信じられないような短期間に見事につくりあげたことだった。
その謎が、「エリック・ホッファー自伝」(作品社)を読んでいて解けたような気がした。たとえば、ホッファーが貧民窟で暮らしていた頃のこんなエピソードを読むと、そのころのアメリカの市民社会の力がどれほど卓越していたかがはっきりわかる。
<その町に着いたのは夕方だった。翌朝、貧民街で目を覚ますと、大きなトラックが二台入ってきた。山の中に道路を造ろうとしていた建設会社が、職業紹介所で日雇い人夫を確保するかわりに貧民街にトラックを送り込んだのだった。トラックに乗れる者は誰でも、たとえ片足であっても雇われた>
山麓で下ろされてみると、会社の人間は一人しかいなかった。そこにある食料と装備品を使って、自分たちだけで道路をつくらなければならないという。ところがホッファーはここで途方もない奇跡が起こるのを目撃した。
<鉛筆とノートを持っていた一人の男が、集められた者たちの名前を書き留め、仕事を割り当て始める。すると、我々の中には大工も鍛冶屋もブルドーザー運転手もハンマー打ちも大勢いたし、コックや救急療法士、職工長までいることがわかった>
まず、テントと料理小屋、トイレとシャワー付きの浴槽を作り、次の日から道路建設にとりかかった。こうして仕事は順調に進み、出来上がった道路は「芸術品」なみで、州の検査官も何の欠陥も見つけられなかったという。これだけのことを、貧民街に住んでいた最底辺の人々が整然と、自分たちだけの力量で当たり前のようにやり遂げた。
<もし憲法を作れと言われれば、われわれの中には「〜の事実に徴して」とか「〜なるが故に」とかいう表現をすべて知っている者がいただろう。われわれは、貧民街の舗道からすくい上げられたシャベル一杯の土くれだったが、にもかかわらず、その気になりさえすれば山のふもとにアメリカ合衆国を建国することだってできたのだ>
民主主義社会においては一人一人の民衆が主役である。そうした自由な社会では、すべての人々の能力を個人的に高め、それぞれが自主的な判断でもの事を行う能力が養われる。すべての人がそれぞれの力を出し切ることができるわけだから、人的資源の活用という視点から考えても、もっとも無駄のない合理的で強力な体制だということができる。
かってのアメリカでは、社会の最底辺にいた「土くれ」のような人々でさえ、自主的に道路を造れるほどの多種多様な才能と技量をもちあわせていた。こんな進んだ国と戦争をして、日本には勝ち目はなかった。戦後、たまたま日本にやってきたシャベル一杯の「石ころ」たちが、マッカーサーの号令のもとでたちまち有能な憲法制定委員に変身し、日本の社会を根底から変えるようなすばらしい憲法草案を作ったのも、あながち奇跡とばかりは言えないのだろう。
|