橋本裕の日記
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15.天国と地獄
二度目の留年をしたあとも、毎日が朝刊と夕刊を配るだけで過ぎていった。勉強はあいかわらず手につかなかった。大学に出かけていくのも億劫になった。 級友の中には、実社会へ出て働いている者もいた。私は二十三歳になってまだ卒業の見込みも立たない留年生だった。そして寺の部屋で寝ころびながら、首吊りや睡眠薬、絶食など、自殺の手段を思い浮かべていた。
その夏、芳子は東京から帰ってこなかった。私は毎日新聞を配り続けなければならなかったが苦痛ではなかった。私にとって新聞配達が生きる支えになっていた。 私は冷奴とみそ汁だけの昼食をすましたあと、あと片づけもしないまま、畳に寝ころんでいた。境内で遊んでいる子供たちの声が、障子越しに聞こえてきた。
そのなかに少女の声があった。その声を聴きながら、私は自分のズボンの前をはだけた。銭湯で見た少女の白い裸身を思い浮かべ、自分のものをしごいた。それからちゃぶ台の下の弘子の太ももや、内灘での芳子とのぎこちない接吻を思い浮かべた。しかし、私のものは萎えたままだった。 私は性欲さえ失っていた。淋しくなった。こんなありさまでは生きている甲斐がないように思えた。
私は高校時代に「歎異抄」を読んでいた。県立高校の受験に失敗した私は、浄土真宗系のミッションスクールに通うことになった。それは私にとって不本意なことだった。しかし、私はそこで釈迦や法然や親鸞にであった。そして「歎異抄」が私の高校時代の愛読書の一冊になった。
久しぶりに本棚からその文庫本を取りだした。開いたページで、弟子の唯円が親鸞にこんな質問をしていた。 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころ、をろそかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかに」 親鸞の答えはこうだった。
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり。よくよく案じ見れば、天におどり、地におどるほどに、よろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり。よろこぶべきこころををさえて、よろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」
親鸞の説く「阿弥陀仏の本願」を信じる気持ちにはなれなかった。地獄や極楽というのも現世利益を説く宗教家たちの商売の道具のような気がした。私は親鸞からも見放されたような淋しい心持ちを感じながらその書を閉じた。
明くる日、自転車のペダルを踏む足に力が入いらなかった。身内からわき上がる力が感じられないばかりか、感情さえ希薄になっていた。街にはミニスカートの女達が肌を露出させて歩いていたが、欲望を感じなかった。 山門を入ると、子供たちが遊んでいた。 (うるさいやつらだ) 私は険しい顔で、子供たちをにらみつけた。
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