橋本裕の日記
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2003年06月18日(水) 書くことの始まり

 エリック・ホッファーは「現代という時代の気質」のなかで、「考えることと書く行為の間には千里の隔たりがある」と書いている。たしかに読んだり考えたりすることに比べて、書くという行為、もう少し正確に言えば、「書き続ける」ということのためには、主体的な精神の持続的な活動が必要になる。それはそれほど一般的な行為とはいえないかも知れない。

 それではホッファーはいかにしてこの「千里の隔たり」を越えたのだろうか。盲目の少年時代を送り、学校へはほとんど行かず、成人してからの人生の半分は移動労働者として、あとの半分は沖仲仕として過ごしたホッファーに、こうした主体的な精神の目覚めはいかにして訪れたのだろう。それは彼によると、34歳の時たまたま手にしたモンテーニュの「エセー」との出合いから始まったのだという。「現代という時代の気質」から引用してみよう。

<1936年の終わり頃、私はネバダ・シティの近くに鉱床発掘をしに行くところだったが、その時雪に降りこめられるような予感がした。何か読むもの、何か長くかかりそうなものを手に入れる必要があった>

 彼はサンフランシスコに立ち寄って、「分厚くて活字が小さく、絵の入っていない千ページくらいの本を買った。値段は1ドルだった。表紙に「ミシェル・ド・モンテーニュ随想録」とあったが、モンテーニュが何者かは知らなかったという。

<思ったとおり私は雪に閉じこめられた。私は例の本を三回読み、しまいにはほとんど暗記してしまった。サン・ホアキン・ヴァレーに帰ってからは、口を開けばきまってモンテーニュを引用するようになり、仲間はそれを気に入ってくれた。彼らは「モンテーニュはどう言っているのか」とたずねたものだ。私はやおら本を取りだし、ぴったりの文章を見つけるのだった。今でもサン・ホアキン・ヴァレーのあちこちに、モンテーニュを引用している移動労働者が大勢いるにちがいない、と私は確信している>

 モンテーニュの「エセー」には人生で誰もが体験する茶飯事が語られていて、とても読みやすい。生活の場所から人生を語ること、高みからではなく、むしろひとりの平凡な生活者として、ありのままに飾らず平明に自らを語ること、この平静な語りのなかに、モンテーニュその人の快活で自由な精神のぬくもりが感じられて、しみじみと心に響いてくるものがある。

 ホッファーはモンテーニュの文章を読み、「子供がキャンディをしゃぶるようにそれを味わう」ことで、「よい文章への鑑識眼を獲得」した。しかしホッファーがモンテーニュから学んだのは平明な文章術だけではなかった。文体と一体となったモンテーニュの自由な精神だった。そしてその精神の核にあるのは、「汝自身を知れ」という明るく透徹した理性の言葉である。

 ホッファーがモンテーニュに発見したのは、「己とは何か、人間とは何か」という問だった。この問をモンテーニュと共有することで、ホッファーもまた市井の哲人となった。そして彼に現代文明をするどく照射する哲学的香気にあふれた文章を生涯にわたって書かせたのだった。


橋本裕 |MAILHomePage

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