橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
今から50年ほど前、サンフランシスコの波止場に、風変わりな日雇いの港湾労働者がいた。彼の名前はエリック・ホッファー(1902〜1983)で、仕事の合間にじっと思索にふけったり、本を読んだり、書き物をしていた。仲間達は彼を親しみと敬意をこめて、「プロフェッサー」と呼んだ。
彼は1902年にドイツ系移民の子供としてニューヨークに生まれている。7歳で母親と死別し、その年に視力を失った。盲目生活は15歳まで8年間も続いたという。当然、彼は正規の教育を受けずに育った。
18歳の時父親が死に、彼はひとりぼっちになった。彼はバスでロサンジェルスに行き、そこの貧民窟に棲みついた。そして職業紹介所でいろいろな職業を見つけ、そのその日暮らしの生活をしていたが、28歳の時そこを去った。きっかけは自殺に失敗したからだという。
その後、農業従事者としてカルフォルニアの農園を渡り歩いた。炭坑夫として働いたり、失業者を収容するキャンプで過ごしたこともあった。恐慌と戦争の時代でもあり、その暮らしは人間として最低の水準だった。
彼がモンテーニュの「エセー」を手にしたのは、1936年の冬だった。彼は砂金堀をしていて、冬の間は雪に閉ざされた生活を余儀なくされた。そこで、偶然書店で買い求めたこの本を三度読み返し、ほとんど暗記してしまったのだという。
モンテーニュとの出合いが彼の運命を変えた。彼は行く先々で図書館に出入りして本を読み、気に入った言葉があるとノートに写すようになった。そして自分の思索の結果をノートに書き写した。やがて1941年、彼が見つけたついの仕事がサンフランシスコの港湾荷役の仕事である。彼に言わせれば、自由と運動と閑暇と収入とがこれほど適度に調和した職業を他に見出すのは困難だった。
彼が1958年6月から翌年の5月にかけて書いた日記が、1963年に「波止場日記」と題して出版された。港湾労働者の日々の記録というにはあまりに高度な思索がそこには書き留められてあった。翌年、彼は認められてカルフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授になった。1967年には彼の対談がCBCテレビで全米に流され、大きな反響を巻き起こした。
しかし、彼は大学へは週に一度顔を出すだけで、普段は港湾の日雇い労働者として生き続けた。「波止場日記」に<私がくつろげるのは波止場にいるときだけだ>と書いている。そして彼はその言葉の通り、60歳まで現役の波止場労働者として働き続けた。彼の言葉をいくつか「波止場日記」から拾ってみよう。
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
<労働者としても、また人間としても比類ないニグロがいく人か波止場にいるのを知っている。この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
<知識人は自己の有用性と価値とに自信がもてないために、とてもプライドなしには立っていけないのであり、普通は国家とか教会とか党とかいったある緊密なグループと自己を一体化してプライドの根拠としているのである>
<私の言う知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神授の権利を持っていると思っている人たちである。知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである>
<自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかがまったく念頭にないことに気付くと、うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である>
<全般的に見て、教育のある人間より大衆の方が、人類についてよい見解をもっている。・・・教育はやさしい心を育みはしない>
<人は、充実した2,3分のあいだに、数ケ月にわたる努力以上のことをなしとげられるものだ>
<世間は私に対して何ら尽くす義務はない、という確信からかすかな喜びを得ている。私が満足するのに必要なものはごくわずかである。1日2回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが私にとっては生活のすべてである>
<湾の空はすばらしい才能を持ち感受性に富む抽象画家によって毎日描かれている>
<私は欠点や欠陥にみちた社会に生きている。しかし、この社会はすべての人に好きなことをさせる十分のゆとりをもった社会である。・・・干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人にとっては、この国(アメリカ)は理想的な国である>
<必要なものにあくせくしているあいだは、人間はまだ動物なのである。不必要なものや途方もないものを求めるときに、人間は、人間という独自な存在になる>
<私の知るかぎりでは、人生は偶然の十字路であるゆえにすばらしい>
<人間のつくり出した実用的な諸道具は大部分非実用的なものの追求のなかから得た洞察や技術を応用したものである>
<二十世紀最大の犯罪は、金銭欲にかられた資本家たちによってではなく、献身的な理想主義者たちによって犯された。レーニン、スターリン、ヒトラーは、金銭を軽蔑した。十九世紀から二十世紀への移行は、金銭尊重から権力尊重への移行であった、金は諸悪の根源だというきまり文句のなんという単純さ>
<仕事に行く気がしなかった。ほとんど一日中買い物をしてすごした。エリックに大きなトラを、そしてリリーにはお盆。25ドルばかりかかった。昼、株価のひどい暴落を告げる新聞の見出しに気づいた。大変愉快になった。ずいぶん意地の悪い見方だが、私がほくそえむにはそれなりの理由があった。株価の上昇はしばしば物価一般の上昇を意味してきた。賃金や預金の実質価格の低下は数千人のギャンブラーたちの破産よりも影響が大きく、不幸な災難となるのである>
<自由に適さない人々、自由であってもたいしたことのできぬ人々、そうした人々が権力を渇望するということが重要な点である。・・・もしもヒトラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたなら、もしもスターリンが一流の理論家になる能力を持っていたなら、もしもナポレオンが偉大な詩人あるいは哲学者の資質をもっていたなら、彼らは絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう。・・・自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する>
彼は<隣人を愛するよりも人類全体を愛する方がいかにやさしいか>について語り、<教育があって自分の考えを表現できる人々、議論が達者な人々と過ごしていたとしても、どれだけ考えを発展させるのに役立っていたかわからない>と書いている。彼はあくまで社会の底辺から人生の真実を見続けた。人生は上から眺めていては分からないことがたくさんある。そして何よりも、彼の思想の何と自由で、その生き方の何と身軽なことだろう。
|