橋本裕の日記
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1946年2月13日、ホイトニー准将は外務省公邸で松本丞治と吉田茂に面会した。松本たちは8日に提示した自分たちの案について話し合うためだと思っていたが、「先日あなたがたが提出した憲法修正案は最高司令官が受け容れることはまったく不可能である」と通告し、GHQ草案を提示した。そしてこう述べたという。
「最高司令官は、これが、多くの人から反動的とみられている保守的グループが権力に留まる最後の機会であると感じています。もしあなた方がこの憲法草案を受け容れるならば、最高司令官があなたがたの立場を支持することを確信されてもよいと思います」
「あなた方がご存じかどうか知りませんが、最高司令官は、あなたがたの天皇を戦犯として取り調べきだという、次第に強くなりつつある外圧から天皇を守ろうという決意を固く保持してきました。しかしみなさん、最高司令官は万能ではありません。とはいえ、最高司令官は、この憲法の諸規定が受け容れられるならば、天皇は事実上安泰になると感じています」
日本側に一瞬緊張感が漲り、愕然とした表情を示した。松本は国情にそぐわない憲法は、専制や悪政を招くことになると反発した。あまりに急進的な憲法は、過激な人々を刺激し、国内を大混乱に陥れるだろうと弁明した。ホイトニーはこうした「共産主義の脅威」を盾に改革を渋る保守的な支配層のいつものやり口ががまんできなかった。そこで、もし内閣がこの草案を真剣に取り上げないのなら、これを国民に直接発表すると警告した。
危機感を覚えた松本は、19日になって青ざめながら閣議にGHQの草案を提示した。天皇を至聖とみなす松本や幣原首相にとって、国民主権を明確に打ち出したGHQの草案は受け容れがたいものだった。しかし「天皇の安泰」というホイトニーの言葉は決定的だった。「内閣でも最も反動的な分子」と目された吉田茂もGHQ草案は無視することが出来ないと考えた。そこでGHQ草案は天皇に上奏されることになった。自己の戦犯としての処遇に危機感を覚えていた天皇は、閣僚ほどには躊躇することなく、ただちにこれを承認した。
松本たちはさっそくGHQ草案をもとに日本語の草案を書き上げた。そしてこれを日米双方の立ち会いのもとで英語に翻訳する作業が進められた。この席上、松本は天皇と内閣の扱いについて再びケーディスとぶつかった。松本は怒って席を蹴って出ていったこともあった。このときケーディスは一方の拳をもう一方の拳の上に載せて、内閣は天皇の上にあるべきことことを露骨に示したという。
こうしたケーディスの強硬な姿勢と脅しがあったので、松本たちの涙ぐましい抵抗にもかかわらず、新しい憲法草案のなかにGHQ草案の民主的な規定や精神ははほとんど受け容れざるを得なかった。幣原は閣議の席でこうして出来た草案を示して、次のように演説した。
「かかる憲法草案を受諾することは極めて重大の責任であり、恐らく子々孫々に至るまでの責任である。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、又一部の者は沈黙を守るであろうけれども心中深く我々の態度に対して憤慨するに違いない。しかし今日の場合、大局の上からこの外に行く途はない」
この演説に閣僚達は涙ぐみ、首相は涙を拭ったという。こうした愁嘆場のあと、3月6日、新憲法は天皇の格調の高い勅語とともに国民に示された。同日マッカーサー元帥は、「余が全面的に承認した新しき且つ啓蒙的なる憲法を日本国民に提示せんとする天皇並びに日本政府の決定に深き満足を表するものである」と賛辞を述べた。
幣原首相もまた勅語にふれ、「天皇はわが国民をして世界人類の理想に向かい同一歩調を進ましめるため非常なる御決断を以て、現憲法に根本的改正を加え、以て民主的平和的国家建設の基礎を定めんことを照示せられたのであります」と述べた。憲法は天皇の叡慮によって国民に与えられたものだという演出にぬかりはなかった。草案がGHQの民政局で書かれたということはタブーだった。GHQは厳しい検閲を設けてジャーナズムがこれに触れることを許さなかった。
(参考文献) 「敗北を抱きしめて」 ジョン・ダワー著 岩波書店
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