橋本裕の日記
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2003年06月07日(土) ダイオキシン論争

 昨日の毎日新聞「記者の目」で小島正美さんが、「ダイオキシン毒性は神話か」と題して、渡辺正・東京大学教授と林俊郎・目白大学教授が著した「ダイオキシン神話の終焉」や、これを好意的に紹介した書評について、かなり批判的な文章を書いていた。

<ダイオキシンが危ないという神話は終わった、焼却炉のダイオキシン排出量を減らす「ダイオキシン類対策特別措置法」は見直すべきだ、そんな主張の本が関心を集めている。渡辺正・東京大学教授と林俊郎・目白大学教授が著した「ダイオキシン 神話の終焉」だ。いくつかの新聞の書評でも取り上げられ、好意的に評価された。最初は、評者の個人的な見方と受け止めていたが、本を読んで「もはやダイオキシンは問題ではない」という知り合いが私の周囲に出てきて、ちょっと待てという心境になった。このままだと逆にダイオキシン軽視の風潮が生じかねない。いま一度ダイオキシンの何が問題かを考えてみたい>

 私もこの問題について、「ダイオキシン法は悪法か」という題で、日記(5月21日)に詳しく書いた。その論旨は、「ダイオキシン問題は軽視すべきではないが、渡辺正・東京大学教授らが主張するように徒に危機意識だけ先行していてはだめである。業界を儲けさせるだけのダイオキシン法は何ら根本的な解決に結びつかないばかりではなく、事態を悪化させるだけだ」ということであった。小島さんの文章も基本的には同じ論点で書かれているので、私はおおむね同感である。小島さんの文章をさらに引いておこう。

<これまでの米国やオランダなどの動物実験や人の疫学調査によると、通常の人の体内に存在するダイオキシンの10倍前後の少量でも、脳神経系や生殖への影響があるとの報告が出ている。独立行政法人の国立環境研究所(茨城県)の研究者たちがラットやマウスで行った最新の研究でも、知能の発達などにかかわる甲状腺の働きが阻害されることが分かった>

<著者たちは「猛毒のダイオキシン」「強力な発がん物質」「たき火からも発生」などの言い方が不安をあおったと指摘する。確かにその一面はあったと思うが、ダイオキシンを軽く見ていい理由にはならない。水俣病など過去の教訓から、被害が出てからでは遅い。動物実験や疫学調査の知見にもっと謙虚になってもよいのではないか>

<こういう知見があれば、たとえ現時点で被害が出ていなくても、対策が必要かどうかを検討するのが普通だ。今度の本にはこうした慢性毒性に関する最新情報がほとんどない。99年にダイオキシン類対策特別措置法が成立した背景には、慢性毒性の知見を基に国際的に規制してゆく動きがあった>

<とはいえ、焼却炉からの排出量を減らすためにごみを広域的に集め高温で燃やす現在の方式は、業界を潤すだけといった著者たちの主張には納得できる点もある。貴重な税金を無駄遣いしないためにも、減らし方の議論はもっとしていい>

 渡辺正・東京大学教授は「ダイオキシンは恐竜時代から存在する」と書いているが、これは放射能は恐竜時代からあると主張するのと同じである。問題はその存在のありようである。放射能は昔からあるから怖くはない。原子炉はつくりつづけてもかまわないということではないだろう。

 私は以前の日記に「大切なことは、性能の良い大型焼却炉をつくることではなく、ゴミの発生そのものをなくすことだろう。環境に優しい省資源型の社会をめざす発想に立った法律の制定こそが求められている」と書いた。ダイオキシンを減らすために、ただ大規模な焼却炉をつくればいいというのは業界を利するだけの、産業優先の発想に立ったあまりに姑息な解決策である。それはかえってエネルギーと資源の浪費でしかない。

 私は渡辺正・東京大学教授のように「ダイオキシン恐れるに足らず」というのは方向性として間違っていると考える。大切なのは放射能やダイオキシンをこれ以上人工的に増やさないような社会をいかに実現していくかという社会変革である。ダイオキシン問題はこうしたもう少し大局的な視点で考えた方がよい。

 大切なのは巨大な焼却炉を作ることではなく、私たちの生き方を考え直すことだ。私たちにもうすこし自然を大切にした簡素で美しい生き方ができないものだろうか。ダイオキシンの毒性は決して神話ではない。それは現実に存在する問題である。批判され、うち破られるべき神話は、もっと他にあるのではないだろうか。

(参考サイト) http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200306/06.html


橋本裕 |MAILHomePage

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