橋本裕の日記
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2003年06月05日(木) 日蓮と一念三千論

5.天台本覚思想

 日蓮と言えば「法華経」だが、もちろん法華経は日蓮の専売特許ではない。法華経は日蓮以前から比叡山で研究されており、それは天台本覚思想としてすでに成熟・完成していた。日蓮のみならず、先輩格の法然や親鸞、道元も比叡山でこれを学んでいる。

 そこで天台本格思想に至る流れを振り返っておこう。天台智�擇砲呂犬泙訶径羯彖曚亘_攘个鮟�経の王とすることで仏典の統一をはかろうとしている。そしてこの法華経にとかれている世界観を「一念三千論」として展開した。最澄はこれを日本に移して、法華経の「一乗妙法」を根幹にして日本の仏教の諸思想を総合統一しようとした。

 最澄没後、比叡山の天台思想はさらに思想的に発展し、ついには天台本覚思想に至って哲理として完成した。日蓮もこれを熱心に学んだ。たとえば、「守護国家論」には「本地久成の円仏は此の世界に在せり」と書かれているが、これなどはまさしく「仏凡一如」を説いた天台本覚思想の真骨頂を示した文言だといえよう。

 法華経の寿量品には、「娑婆即寂光土」「衆生劫尽きて大火に焼かれると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満す」などという有名な言葉があるが、これをつきつめれば「凡夫のふるまいを離れて仏はなく、また穢土のただなかに浄土がある」という考え方にいたる。これが天台本覚思想で、一口で言えば、現実のただなかに真理が活現しているという考え方である。


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