橋本裕の日記
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2003年05月29日(木) 日蓮と一念三千

4.如来使

 日蓮は「立正安国論」で「謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下太平とならん」と主張している。そして彼は正法が消え失せたときには国土に種種の災難が起こることを説いた経文を拾い集めて、このままでいけば経文に説かれた最大の難である自界反逆と他国侵逼の難が起こるだろうと警告した。

 これが日蓮の有名な予言と言われるもので、前者については、1272年(文永9年)の北条時輔の反乱、後者については文永(1274年)、弘安(1281年)の蒙古来襲が上げられている。

 いずれにせよ、日蓮は破邪顕正を叫び、著作を時の権力者で前執権の北条時頼に進呈することで、為政者の自覚を促そうとしたわけだ。日蓮は単に「日本一の智者」になることに甘んじないで、自ら信じるところに従って勇猛果敢に現実と対決し、自ら仏法の実践者(如来使)たる道を選んだのだということができる。

 日蓮は悟り澄ました坊主ではなかった。彼は法華経を土台とする天台本覚思想という当代最高の思想を我がものとした上で、その思想を活用して現実を見たのだった。そしてこの理想に基づいて社会や国家のありかたを批判し、時代と社会を考証するなかで、自己の思想を深化させ、社会の秩序と正義の実現に向けて邁進した。

 日蓮ほど思想を究めながら、現実に深くかかわり、社会変革に情熱をたぎらせた実践的な仏法者は、日本の歴史の中で珍しいのではないだろうか。もちろんそこには時代の制約から一定の限界があったことは否めないが、その真実一路な生き方の中に、人間のスケールの雄大さを感じる。

 ところで、このように日蓮が生涯を傾けてその熱心な行者たらんとした「法華経」には、いったいどのような真理が述べられているのだろうか。とくに日蓮がそれをどのように理解していたのか。次回からこのことについて書いてみよう。


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