橋本裕の日記
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敗戦後、だれもが天皇は退位するだろうと思っていた。東大総長の南原繁は道義的観点から天皇は退位すべきであると主張した。保守的な憲法学者の佐々木惣一や著名な哲学者の田辺元も天皇の引退を望んだ。詩人の三好達治は「陛下は速やかに後退位になるがよろしかろう」と題するエッセイを雑誌「新潮」に発表した。
天皇の側近も、天皇自身さえ、退位はやむを得ないと考えていた。たとえば近衛文麻呂元首相は公然と天皇の退位問題を口にしたし、天皇の叔父に当たる東久邇首相は、天皇に個人的に会い、退位を薦めている。天皇の弟である三笠宮にいたっては枢密院会議で天皇に責任を取るように促した。そのとき天皇の顔色は心配の余りかってないほど青ざめていたという。
しかし、結局天皇は退位しなかった。なぜなら、それがマッカーサーの望んだことだったからだ。1945年11月26日、米内光政が天皇の退位問題についてマッカーサーに尋ねている。そのときマッカーサーは「その必要はない」と答えた。マッカーサーと一心同体と見られていたフェラーズ准将はもっと直接的なアドバイスをしていた。
<ある時は米内に、天皇は占領軍当局にとって「最善の協力者」であり、「占領が継続するかぎり天皇制も継続するだろう」と語り、ソ連が進める「全世界の共産主義化」を阻止するには、この方針が重要であること、そして「非アメリカ的な思想」がアメリカ合衆国の上層部にも強まり、天皇を戦犯として逮捕する声が依然として力を持っていると言った>(「ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」以下の引用も同書より)
フェラーズは米内に次のようにも語ったという。 「天皇が何らの罪のないことを日本人側から立証してくれることが、最も好都合である。私は、近々開始される裁判がそのための格好の機会を提供すると考えている。とくに東条は自身の裁判において全責任を負わされるべきである」
フェラーズのこの意向は米内から東条に伝えられた。こうして東条に割り当てられた役回りはあきらかになった。それは決して「天皇に迷惑をかけない。罪をすべて自分でかぶる」ということである。このことは他の戦犯たちにも告げられた。彼らは進んで「どのような些細な戦争責任をも天皇に負わせない」ことを誓約したという。
<天皇を守るための日米の共同作業がどれほど緊密に維持されたかは、1947年12月31日の法廷で東条が証言したさいに明らかになった。このとき東条は一瞬逸脱して、天皇の権威の絶対性に言及したのである。アメリカ主導の「検察当局」はただちに、東条がこの証言を撤回するよう、秘密裏に指導した>
戦犯リストを作成する任務についていたエリオット・ソープ准将は、後に次のように述懐している。 「天皇の退位は混乱以外の何者をももたらさない。宗教もなく、政府もない。天皇だけが統制の象徴だったのである。もちろん天皇は悪に手を染めた。彼が無邪気な子供でないことも明らかだ。しかし天皇はわれわれにとって大変役にたつ存在だった。これが私が天皇を支えるようマッカーサーに勧めた理由だ」
こうした忠告を受けて、マッカーサーはアイゼンハワーに極秘電報を打った。それはもし天皇が告発される事態になれば、国民はばらばらになり、政府機関の機能は停止してゲリラ戦がはじまるだろう。近代的な民主主義を導入する望みはすべて消え、ばらばらになった大衆から、おそらく共産主義に沿った強力な統制が生まれてくるだろう。このような混乱の中で秩序を維持するには、数十万の行政官に加えて、少なくとも100万の軍隊を何年にも渡って配備する必要があるだろう。
マッカーサーはこの電報によって、天皇の戦争責任を追及することがアメリカの国益をいかに損なうか、アメリカ政府の首脳に骨の髄までわからせた。ジョン・ダワーは、このような「終末論的なレトリックは、マッカーサー意外の人間には真似のできないものであった」と書いている。
<のちに吉田茂は回想記の中で、マッカーサーを日本の「偉大な恩人」と賞賛しているが、それは民主主義の贈り物をしてくれたからではなく、未曾有の危機にあって、最高司令官として天皇制を維持し、畏敬すべき現君主を擁護してくれたからである。吉田茂は正しかった。この問題に関しては、連合国最高司令官の影響力は決定的であった>
こうしてアメリカの国益と、日本の保守的勢力の利益が一致することで、天皇の戦争責任は見事に回避された。そしてそのために周到に用意された茶番劇の舞台が東京裁判だったわけだ。処刑を前にして、A戦犯たちは広田弘毅元首相の音同で「万歳三唱」をとなえたという。広田は万歳を「まんざい」と発声したと伝えられるが、それはたしかに「漫才」だったのかもしれない。
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