橋本裕の日記
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2003年05月23日(金) あかね雲

7.赤旗の配達

 理学部の自治会は私の友人が執行委員長をしていた。私がオルグした同級生や下級生も生徒議会の議長に選ばれるなど枢要な地位を占めていた。すでに弘子をはじめ私の友人の多くは共産党に入党していた。
 やがて私も学習会での貢献が認められ党員になった。そして赤旗を配達する任務が与えられた。

 毎朝四時前に、私は寺の山門の石段に腰を下ろして、弘子が自転車で来るのを待った。ジーパン姿の彼女から三十部ほどの赤旗を受け取ると、彼女が次の場所に自転車で向かうのを見送ってから、新聞紙の束を抱えて街を歩いた。
 牛乳配達のおばさんと顔見知りになり、挨拶をするようになった。朝のすがすがしい景色もよかった。運動靴で走るのも悪くはなかった。

 赤旗を無造作に郵便受けに入れたり、ガラス戸に挟んだりしないように注意されていた。大学では共産党が多数派で威張っていたが、世間ではまだ小数派だったから人目をはばからなければならない事情もあった。そうした偏見や差別に抗して戦っている一般の党員に比べれば、学生の活動家の多くは体制順応者に過ぎなかった。

 七十年代のこの時期に共産党は社会党と協力して反戦平和の運動を展開していた。京都や東京、大阪、名古屋といった大都市で革新首長が誕生した。第三十三回衆議院選挙では共産党は三十八議席を獲得して、自民、社会につぐ第三党になった。

 しかしこうした党の躍進も、赤旗の配達のような地味な活動によって支えられている。全国各地で私と同じように機関誌を配っている仲間がいて、待ち望んでいる仲間がいる。そう思うと、私は党に親近感を覚えた.。


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