橋本裕の日記
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1946年の元旦、天皇が「人間を宣言」の詔書を読みあげた。復員兵の渡辺は天皇が退位もせずに居座り、何の反省もなく現御神(あきつみかみ)であったことを否定するくだりに、あらためて激しい憤りを覚えた。
<詔書が「詭激の風」と道徳の衰退に警告を発している点もまた、彼を激怒させた。そのような状態を引き起こしたことにたいして、天皇ではなくて誰が責任を負っているというのだろうか? 天皇自身がいまだに戦争責任を取っていないというのに、国民の道徳衰退について話すことなどできるのだろうか?
・・・8月15日の詔書でも、1月1日の詔書でも、「私の責任である。謝罪する」の一言もなかったではないか。天皇が日本の民主化に指導的役割を果たしたことをマッカーサーが賞賛したという記事が新聞に出たとき、渡辺はこれは甘くない砂糖のような矛盾だと批判した。
民主化は民によってのみ達成されるのだ。だからこそ、デモクラシーは民主主義と訳されたのである。この4つの文字は、字義通りには、「人民−主権−主義」を意味する>(ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」)
2月22日、サイパンから帰ってきた兵隊と天皇がこんな会話をかわした。 「戦争は激しかったかね」 「ハイ、激しくありました」 「ほんとうにしっかりやってくれて御苦労だったね。今後もしっかりやってくれよ。人間として立派な道に進むのだね」
この会話を聞いて、渡辺は絶望した。もし天皇がまともな人間なら「私のためにご苦労をかけてすまなかった」と言うべきではなかったのか。天皇の無責任な発言を容認すれば、多くの国民は「天皇さえも責任を取らずにすましてしまったのだから、私たちが何をしようと責任を取る必要がない」と考えるようになるに違いないではないか。
実際、彼は数日後、中国戦線で従軍していた退役軍人が、現地で犯した残虐行為について、まったく良心の呵責も感じないで話をしているのを聞いた。その男の無責任さは天皇の無責任さを反映しているように思われた。残虐行為さえ「よくやった」で済まされて良いのだろうか。
彼は又、教え子たちを熱心に戦場に送り出した小学校時代の教師が、「戦争に負けたのは残念だったが、考えようによっては負けてかえって良かった。もし勝っていたら、日本では民主主義どころではなかっただろう」と語るのを聞いて、その教師の口振りに疑問をもった。
4月20日、彼は村を離れる決心をした。それに先立ち、彼は天皇に手紙を書いた。その手紙の中で渡辺は天皇を「アナタ」と呼び、彼が兵役に服していたあいだに軍人として得ていたすべての給料の明細と支給品のリストを示し、その合計金額の4281円をそこに同封した。そして手紙の最後を「私はこれでアナタにはなんの借りもありません」と結んだ。
その手紙は渡辺にとって多くの戦友を失った悲しみと怒りを表現するせめてもの行為だった。そして自分が新しく生まれ変わるにあたって、天皇との一切の関係を清算したいと願ったのだった。そのために必要な儀式でもあった。
戦後、日本を占領したマッカーサーのもとには、たくさんの手紙が届けられたという。そのほとんどは親愛と感謝を綴ったものだそうだ。そうしたなかで、天皇に届けられた手紙もかなりあったことだろう。そこにいったい何が語られていたのだろう。そうした手紙が公開されることはないのだろうか。
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