橋本裕の日記
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2003年05月17日(土) くだかれた神

 学校の図書館から再び「ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を借りてきた。その中に、復員兵・渡辺清の日記「砕かれた神」が紹介されている。渡辺さんは天皇を神だと信じていた。15歳で海軍に入隊し、戦艦武蔵の搭乗員として、マリアナ海戦にも臨んでいる。その後、戦艦武蔵が沈没して、戦友のほとんどは死んだが、彼は奇跡的に生き残って復員した。

 彼は天皇を無条件で崇拝していた軍国少年だったという。そして「聖戦」で天皇に命を捧げることを臨んでいた。そんな彼は敗戦後も規律を守り、軍からは何もかすめとらずに帰郷した。ところがそのために、彼は隣近所の復員兵と比較されて、家の中で肩身の狭い思いがしたという。敗戦を機に、まわりの雰囲気がまるで変わってしまった。そうした変化に彼はついていけない。

 東条英機のへまな自殺未遂に嫌悪感を抱き、天皇がマッカーサーを訪問したときの写真を見て、吐き気を催した。なぜ天皇は恥ずかしくないのか、渡辺には理解できなかった。「天皇はその元首としての神聖と権威を自らかなぐり捨てて、敵の前にさながら犬のように頭をたれてしまった」と日記に書いた。彼の中で「天皇陛下」がこの日に死んだ。

 新聞やラジオがアメリカ民主主義を称え、政府が「一億総懺悔」を宣伝しはじめた。しかし何故国民が懺悔しなければならないのだろう。むしろ、天皇を含めた戦争責任者が国民に対して懺悔するのがほんとうではないか。もし天皇が本当に戦争がしたくなかったのなら、何故開戦の詔勅に署名をしたのか。なぜ天皇は真珠湾攻撃の責任を東条に押しつけようとしているのか。天皇こそ真っ先に責任をとり、国民に懺悔しなければならないのではないか。

 渡辺の敗戦の無力感はいつか天皇に裏切られたという怒りにかわったいた。彼は皇居に火をつけ、お濠の松の木に天皇を逆さまに吊し上げて、欅の棍棒で打ち据えることを夢想した。また、天皇を海の底に沈めて、そこによこたわる幾千もの死骸を見せてやりたいと思った。

<彼の村では、人々はすでにマッカーサーのことを新しい天皇、あるいは天皇の上に立つ新しい国王と呼びはじめていた。人々の移り気に彼はむかむかした。同胞の日本人たちは、誰であろうとも、その時もっとも権力を持っている者にただ身をすりよせていっただけなのだ。「時代が変わったのだ」と人々はいつも言い続けているが、渡辺はそのようなうすっぺらな実利主義に加わる気はなかった。

 ・・・天皇制の打倒を呼びかける共産党のポスターを目にしたとき、渡辺は思わず苦笑してしまった。戦時中、天皇への忠誠心は「赤心」と一般には言われていた。今、彼は共産党のポスターに同意している自分に気付き、彼は自分がまったく異なった「赤い心」を持つようになったことを認めたのである。12月初旬、彼はあらゆることを自分で判断することに決めた。もう二度と他人の言うことを無批判に受けいれることはすまい>(ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」)

 この後、渡辺がどうなって行ったか、それは明日に日記に書くことにしよう。


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