橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
5.卯辰山
寺に下宿するようになって、卯辰山を歩くようになった。寺を出て、観音院の前の坂道を登っていくと、三十分で展望台に出る。そこから市街が一望できた。晴れた日には河北潟や日本海まで眺められた。
近くに徳田秋声の文学碑があり、民家の土塀を模して、その前に碑が建っていた。設計は犀川湖畔にある犀星の「あんずよ花着け」の碑と同じく谷口吉朗博士だ。滋味のある落ち着いた感じの文学碑だった。
初夏の頃、私が物思いに耽りながら卯辰山の山中の小道を歩いていると、若い女の声が聞こえてきた。声の感じが、弘子に似ていた。それは当時流行っていた天地真理の歌の一節だった。
私の胸は期待でふくらんだ。私は傍らの灌木の中に身を隠そうかと考えたが思いとどまった。淋しい山中で驚かしたりして、人違いだったら大変である。 梢では小鳥のさえずりがしていた。私はそれに耳を傾けているふりを装うことにした。
やがてスカートの素足が灌木から見えた。私に気付いたらしく歌声が止んだ。 「こんにちは」 高校生くらいのお下げ髪をした見知らぬ少女が、そよ風のように去っていった。
|