橋本裕の日記
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2.日本第一の智者
日蓮の伝記を繙いてみると、彼は承久の乱(1221年)の翌年、貞応元年に千葉県安房郡小湊で生をうけています。そして弘安の役(1281年)のあった翌年、弘安5年に世を去っています。62年の生涯でした。
彼は12歳の時、清澄山という彼の生地に近いお寺に登りますが、やがて17歳の頃、仏教についての知識を深めるために、諸宗修行の旅に出ます。後に日蓮はこの頃のことを回想して、こう書いています。
「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給え。十二の歳よりこの願を立つ」(破良観等御書 55歳)
日蓮は自分のことを「栴陀羅が子也」(佐渡御勘気鈔)と書いているように、貧しい漁夫の家に生まれたようです。そんな日蓮が清澄山に入り、学問(仏法)で身を立て、「日本第一の智者」になれるようにと願を立てたのは、彼が漁夫の子でありながら大変聡明であったからだと思います。
しかし清澄山は「遠国なる上、寺とはなづけて候へども修学の人なし」(本尊問答鈔)という状態でした。そこで、当時の政治の中心地であった鎌倉へ登り、さらに見聞を広め、真理を究めるべく、21歳のころに当時の学問の中心地であった比叡山へと旅立ったわけです。
日蓮はこうして京都で10年間修学・修行をして、自分が絶対の真理を掴んだという確信を得ました。そして32歳のとき叡山を去り、故郷に帰って来ます。ところが、学業を終えて故郷に帰ってきた日蓮の前途は大変険しいものでした。
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