橋本裕の日記
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昨日、今日と、法事で福井に帰省してきた。父と祖母が相次いで亡くなったのが1991年の5月14日と17日だったから、やがて12年目になるわけだ。つまり十三回忌ということになる。
久しぶりに会えた親戚もいて、何だかなつかしかった。まだ幼稚園児だった子が高校生のお嬢さんだったりする。それは先方も同じで、うちの娘も何時の間にか大学生だから子供の成長はほんとうにはやい。いずれにせよ、法事も無事終わって、これでようやく一息つくことができる。
振り返ってみると、4月は慌ただしかった。今年も三年の担任になったが、面識があるのはテニス部の一人だけ。放課後、ひとりずつ面接をし、進路を話し合った。 この間、無断アルバイト、家出、授業エスケープがあり、保護者を次々と学校に呼び懇談した。おまけに部活の試合で土・日が6日間も拘束されるなど、超多忙だった。
去年の暮れに、血圧が190を越え、通院し服薬してどうにか血圧の上昇を押さえているが、薬の副作用のせいか、ときには体中の筋肉が弛緩して無力感に襲われ、その場にへたりこみそうになる。病院で窮状を訴えると、椅子に坐らせたまま、しかも着衣のままでぞんざいに血圧を測り、「いぜん血圧がたかいようなので、飲んで下さい」と若いインターンのような医者は面倒くさそうに言うだけ。二時間も待たされて、診察時間は5分だけ。そして3000円も診察料をとられるのだから割り切れない。
ベッドに寝てゆっくり深呼吸して計れば20は下がることを、この医者は知っているのだろうか。案の定、家に帰って計ったら、上は130しかなかった。場合によっては110を切ることさえある。急激な変化に身体がついていかないのだろう。その場にへたりこみそうになるときは、おそらくもっと下がっているにちがいない。
現在、2種類の薬を自分の独断で1種類に減らして飲んでいる。自分の身体は自分で管理するしかない。医者の言うことを聞いているとろくなことにならない。このように、肉体的に辛い状態にあり、精神的にも疲労感が蓄積した4月だった。5月はすこし息をつきたいものだ。
父が死ぬ前に言っていたのは、「医者を信用するな」ということと、「働きすぎるな」ということだった。ふと思い出して妻に言うと、「あなたのお父さんは65歳まで働いたんでしょう」と一蹴されてしまった。中学を出ると18歳で中国に渡り、軍隊に行き、戦後は職を変えながら、65歳までしゃにむに働き続け、67歳で体がぼろぼろになって死んでいった父が何ともあわれである。
さて、気付いたらもうゴールデン・ウイークも明日一日しかない。一ヶ月ぶりに手にする完全に自由な休日である。勿体なくて、どこかに飾っておきたい気分だ。
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