橋本裕の日記
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| 2003年04月26日(土) |
法隆寺とパルテノン神殿 |
紀元前350年ころ、マケドニアのアレクサンドロス大王はギリシャを統一すると、その後東征して、わずか10年程でエジプトからインド西部にまたがる大帝国を建設した。そしてその過程で東西の文化の交流がすすみ、その後の数百年にわたるヘレニズム時代がはじまった。
ギリシアはローマに文化を伝え、ヘレニズム期からローマ帝国の時代にかけてギリシア文化はペルシャやインド文化と融合し、そうしてできたギリシア・ペルシャ・インド文化がガンダーラの文化となって中国、朝鮮半島、そしてついには東の最果ての日本にまで伝わってきた。
ギリシャのパルテノン宮殿には唐草模様の装飾が施してある。同様の唐草模様は日本の正倉院の工芸品にもうかがえる。これは中国の文化の影響というより、ギリシャの唐草模様が中国に伝わり、これが日本に伝わったのだと考えられる。
和辻哲郎が「風土」のなかで、法隆寺の円柱にはるかギリシャのパルテノン神殿との類似性を指摘しているが、法隆寺の仏像に見られるアルカイックスマイルもヘレニズム時代にギリシアの文化が5世紀のモンゴル高原・北魏を経由して日本まで伝わってきたものだ。シルクロードを通り、東西の異文化の交流があったことはまちがいない。 パルテノンができたのが紀元前5世紀で、法隆寺ができたのが紀元後7世紀だから、その間には1000年以上の歳月が流れている。私は法隆寺を訪れ、微笑している高雅な仏像を眺める度に、この悠久なる人類の歴史を想わないわけにはいかない。そして私たちの文化の源流にパルテノン神殿の神々の残映を見て、はるかなギリシャ文明への憧憬と郷愁を新たにする。
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