橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
俳句や短歌が好きで、自分でも勝手に作っているが、他人からとやかく言われるのが嫌いで、同人誌や結社にはいる気はしない。あくまで自分勝手に楽しんでいるだけだ。
私は人生に大切なもののひとつに「詩」があると思っている。人生をたんなる生活ではなしに、もうすこし美しく、真実なものにするために、芸術があり、詩があるのだと思っている。
そのむかし、人々はだれもが詩人だった。庶民の誰もが歌をうたい、人生を「詩的」に活きていた時代がたしかにあった。このことを私は「万葉集」から学んだ。その後、時代が下がるに従って、詩的なものは庶民の生活の中から失われていった。
これを再び庶民の手へと返したのが、芭蕉だった。芭蕉の発明した「俳句」がそれである。わずか17音で構成される世界最小の詩である。しかも、それはまさに因習に囚われない自由な詩だった。
古池や蛙飛びこむ水の音
この句は1686年の春、江戸深川の芭蕉庵でできたらしい。芭蕉は池に蛙が飛び込む音を聴いて、「蛙飛び込む水の音」と作った。そして上五をどうするか思案していると、其角が「山吹や」がいいのではないかと提案した。其角が「やまぶきや」とつけたのは、「古今集」の次の歌が頭にあったからだ。
かはずなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを
山吹や蛙飛びこむ水の音
其角にはこれ以上のものがないように思われた。ここにあるのは和歌の伝統的な世界を破壊するための機知である。「山吹」には「蛙の声」という短歌的な因習を、「蛙飛びこむ」という意外性で粉砕する。これはなかなか痛快なことではないか。まさに俳句の真骨頂ではないか。
しかし芭蕉はこの案をしりぞけた。そして「古池や」という何の変哲もない言葉を選んだ。このことについて、俳人の長谷川櫂さんが「俳句の宇宙」の中で、こう書いている。
<芭蕉が其角の進言をいれず、古池をもってきたのは、其角たちが考えていた当時の俳諧というものを、やはり一歩、前に進めようとしたからではないか。1786年の芭蕉には、すでに、因襲へのあらわな批判もひとつの因襲と映っていたのかもしれない。芭蕉は其角や以前の自分自身の俳諧に対する考え方を批判しようとしたのではないか。
そこで芭蕉は和歌のように「かはずなくゐでの山吹」とも歌わないが、其角のように「山吹や蛙飛びこむ水の音」としようとも思わない。因襲に囚われるのでもなく、因襲を真っ向から批判するのでもない、そのどちらも超越した不思議な新しい空間に「古池や」という言葉はある。古池の句は、和歌やそれ以前の俳諧に対する芭蕉の創造的批判の句なのだ>
この句によって、芭蕉は俳句の中に和歌の教養からも自由な、自立した詩の世界を創造した。「やまぶき」から「古池」への一歩をなしとげたのは、詩人としての芭蕉の天才だった。そして、教養や伝統という因襲を徒にかかわりあい、これによりかかるのではなく、自然や人生そのものに真っ直ぐ目を向けることが大切だと考えて、「竹のことは竹に学べ」という名言を残した。
芭蕉は何でもない日常茶飯事の中に、「詩」を発見した。いいかえると森羅万象すべてに詩が宿っていることの発見である。そしてそれを「俳句」というかたちで表現してみせた。詩はどこか遠い山の彼方にあるのではない。それは今ここに、私たちの生活のすべてになかに存在する。そしてその「詩」を発見したとき、私たちは人間らしい生活に恵まれるのである。芭蕉が発明した俳句は、私たちにこのことを教えてくれた。
(参考文献) 「俳句の宇宙」長谷川櫂、花神社
|