橋本裕の日記
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2003年04月19日(土) 徴兵制と志願制

 アメリカは30年ほど前に徴兵制をやめて志願制になった。ベトナム戦争で多くの犠牲者が出て、反戦運動が広がった。その背景に、徴兵制があった。アフガン戦争でも今回のイラク戦争でも、アメリカは好戦的だったが、もし徴兵制が存続していたら、もう少し反戦運動が高まったのではないかと思われる。

 徴兵制は国民に平等に徴兵の義務を課すが、志願制のもとでは、ややもするとその負担が一部の階層に偏りがちになる。たとえば114万人いる米軍の兵・下士官のうち、黒人が占める割合は22.3パーセントで、これは総人口に占める割合12パーセントを大きく上回っている。

 軍への志願に際しては、国籍は問われない。そして、志願と同時に市民権が交付される。市民権が本人に認められると家族への永住権もまたほぼ即時に認められる。だから移民の中には一家を代表して兵役に志願するケースも多いらしい。

 この他にも、志願兵にはさまざまな特典が与えられる。入隊すれば家族の医療費も軽減される。除隊後には大学進学のための学費も支給される。だから家族に病人をかかえながら治療費が払えない人たちや、学費が欲しい若者たちも志願する。その多くが社会的弱者といってよい階層の人たちである。米国在住の作家・冷泉彰彦さんのメールマガジン「アメリカを引き裂いたもの」から一部引用しよう。

<兵士の家族が紹介されるたびに、その多くが貧しいこと、年若いことに驚かされると同時に、兵士自身の軌跡の中に「青春の挫折」を経験した影のようなものを感じて、どうしようもない空しさを感じることがあります。戦場の環境は過酷です。その前の訓練も過酷を極めるといいます。若い兵士は精神が強靱だから過酷な環境に耐えられるのでは、恐らくないのです。ここが人生の最後のチャンスだからと、歯を食いしばって自分の生命を危険に晒しているのです。

 そうした若者を戦地へ送り、イラクの民衆と「殺し殺され」の惨劇に放り込み、「犠牲は最小限」などとうそぶくペンタゴンのお歴々には呆れて物も言えません。そればかりか、次はシリアだイランだ北朝鮮だ、などと勝手なホラを吹くのですから、いい加減にしてもらいたいものです。

 軍への同情が集まり、戦争支持の星条旗や、帰還を祈る黄色いリボン(ニュージャージーでは余り見かけません)などを掲げる人たちは、決して根っからの国粋主義者ではないのです。兵士が強者ではなく、むしろ弱者であるという心情から、戦闘に身体を張っている兵士への共感を隠せないのでしょう。

 反戦運動への反感、平和論を展開したカナダやフランスへの反感も、同じ心情から出ていると思います。ここに悲劇があります。反戦運動をしている人たちは、自分たちが正しいと信じています。それだけではありません。何か巨大な悪が(例えばネオコンとか、宗教狂信者とか)がいて、それが軍需産業と結託して悪事をしている、それに対して「弱者」の自分たちは、必死になって反抗しているのだ、そんな心情が共通にあるのでしょう。

 その一方で、戦争支持の人々や志願兵は「自分たちこそ弱者」と信じているのです。そして、反戦を語る人々に「経済的にも、勉学やキャリアの上でも勝者のくせに、鼻持ちならない偽善者」という憎悪を抱くに至ります。このすれ違いは恐ろしいものがあります>
 
 アメリカの志願制度が有効に働くためには、その供給源となる貧しい階層の存在が前提になっている。彼らにとっては軍隊はより日のあたる場所へと抜け出すための階段である。しかし、それは生命のリスクをともなう危険な階段であり、どう考えてもまっとうではない非人道的な階段だ。

 昨年秋のイラク容認決議にも反対票を投じた民主党のチャールズ・ランゲル議員らが「徴兵制復活法案」を議会に提出している。ランゲル議員は「もし徴兵制があって、人的犠牲を国民各層が引き受ける状況だったら、この戦争に対する、より正しい認識を米議会と米社会にもたらしたはずだ」と語っている。

 徴兵制と聞くと、私などは反対に軍国主義を想像してしまう。日本の自衛隊はもちろん志願制だが、これが徴兵制になったりしたらそれこそ大事である。しかし、もし軍隊が必要なものであれば、それは志願制ではなく徴兵制でなければならないという論に私は賛成したい。もっとも徴兵制度があっても、ブッシュ大統領のように親の七光りで兵役をのがれる人々は多いのだろうが・・・。

(参考文献) 4月17日朝日新聞朝刊
        「米軍支えるマイノリティ〜戦死者目立つ黒人やヒスパニック」


橋本裕 |MAILHomePage

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