橋本裕の日記
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2003年04月18日(金) 戦後世代の責任

 戦争で犠牲になるのは多くの民間人である。イラク戦争でも兵士ばかりではなく多くの女性や子供たち、老人が犠牲になった。その数は兵士の数をはるかに上回っている。

 先の太平洋戦争での日本人の死者は300万人を越えているが、その大半も民間人である。2000万人を越えているといわれるアジアの人々の犠牲者も、ほとんどが民間人だった。

 戦争を続ける場合には、物資や兵器・人員の輸送が必要だが、敵はこれを狙ってくる。太平洋戦争でも、たくさんの商船が潜水艦や飛行機に狙われ、海に沈没した。その実態を書いた田中祐三さんのHP「戦時下に失われた日本の商船」から引用しよう。

<南方を攻略する軍隊を輸送し,確保した資源を日本本土に送って武器弾薬を生産し,それらを再び南方に補給する商船隊の活動と兵站の確保に日本の運命のすべてを委ねて始められた戦争だったからこそ,開戦直後にアメリカ軍が真っ先に発動したのは無制限潜水艦戦−−いまの言葉で言うならば後方支援活動に従事している日本船舶への無警告攻撃と通商破壊命令でありました.
国家存亡の運命を担って最前線に派遣された商船隊は,敵の航空機と潜水艦の最も苛烈で集中的な攻撃の目標となります.

開戦当初日本商船隊の運航を支えていたのは高度に訓練された優秀な七万六千人の船員でした.対米戦争の期間中に喪われた船舶は二千四百隻,船員の犠牲は六万二千人に達し,その戦死比率は帝国陸海軍を遥かに上回ります.

 さらに数多くの陸軍将兵が米豪軍と対峙する前の輸送途上で海没し,多数の民間人,避難家族,疎開児童,病院船の医師や看護婦,連合国の捕虜,日本軍の指揮下で戦ったアジア諸国の兵士,商船護衛の海軍艦艇の将兵たちもまた,武器や石油,原料を満載した商船とともに洋上に散っていきました>

 田中祐三さんは1953年生まれの戦後世代である。中学生のころ父親の書棚にあった「呪われた阿波丸(千早正隆・文芸春秋社)」を読み強烈な衝撃を受けたことがHPを開設した源流になっているという。

<近代の戦争というもの「敵味方の軍隊同士の戦い」という視座だけで見てはならないということを,この阿波丸の悲劇を読むことによって強く印象づけられました.

 大学に入った年には,返還直後の沖縄を訪れてはじめて對馬丸の惨劇があった事を教えられました.その後も旅行や商用で訪れたコレヒドールの美しい残照,ジャカルタやスラバヤの鮮やかな熱帯植物や野鳥の群れ,凍てつくサハリン,流氷を生むナホトカの港,高雄や釜山の熱気.ひとびとのやさしさに触れ,あたたかく懐かしい旅の記憶が積み重なることと同時に,各地の戦史に埋もれ殆ど語られることさえもなくなってしまった名もなき戦没商船群の惨劇と夥しい人々の無惨な死の記憶もまた,そのときどきの血を流しながら胸に刻まれてきました>

 田中祐三さんは「戦争の記憶を次の世代へと継承していくこと.それは私たち戦後世代に課せられた責務であり,戦没者の方々へのせめてもの償いと謝罪を果たすことであると思っています」と書いている。彼のHPには名もない戦没者への鎮魂の思いが籠もっている。おなじ戦後世代の一人として、私は彼の文章にシンパシー覚えた。

(参考サイト) http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/


橋本裕 |MAILHomePage

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