橋本裕の日記
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30歳の犀星が故郷の金沢に帰り、若い頃に縁のあった女性を次々と訪ねて歩くという場面が、「杏っ子」に描かれている。乗り合い馬車で見初めた小学校の女教師エピソードを紹介したが、今日はもう一つ、犀星の友人の妹の話を書こう。
<そこは九谷焼きの赤絵書きの家で、うえの女の子はかね子といって、平四郎とそのかね子の兄貴となにか話をしていると、突然、彼女は兄貴の部屋に入ってくると菓子もなにもないわよ、お湯でも飲んでいるがいいわと怒って、もう一度兄貴が菓子をさがして来てくれとたのむと、いきなりくるりとからだを廻し、着物をまくると小さなお臀をまる出しに、つるりと見せて置いて、ぴしゃんと自分で叩いて部屋を出ていった。偉大な反抗なのだ>
<平四郎は九谷の赤絵書きの家は平常から礼儀も正しく、かね子もおとなしい娘であったので、驚いてちいさなお臀を永いあいだ覚えていた。その頃の女の子はパンツというものを、はいていない。まくればまる出しになるものであった。かね子は十五くらいだったが、そんな突拍子もないことをやってのけるとは、ちょっと想像も出来ないことである>
ところで、犀星がその友人とかな子に逢おうと、浅野川べりにあるその家を訪れてみると、そこには別の一家が住んでいた。その人の話によると、犀星の友人も、かな子も、その両親もみんな肺病で死んでしまったのだという。
<するとかね子一家の印象は平四郎の眼には瞬時にして消失したが、ただ見えるものは十五歳のお臀ばかりであった>
犀星の描いているあたりを私は毎日新聞配達で歩いていた。私は大学時代の二年間ほど、「中日新聞」の朝刊と夕刊を配り、集金もしていた。それはちょうど浅野川近辺の地域で、犀星や徳田秋声、泉鏡花らの小説の舞台になった金沢でも下町情緒の色濃く残っているところである。
私は高校生の頃から犀星のフアンだった。「杏っ子」も大学時代には読んでいた。戦災を免れた金沢には戦前からの家並も残っていた。新聞を配りながら、ふと路地の角から、十五歳のかな子が現れてきそうな幻想を抱いた。犀星の見たかな子の白いお尻を、私も拝みたいものだと思った。
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