橋本裕の日記
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2003年04月05日(土) 記憶の中の少女

大学生の頃、4年間ほど、金沢の卯辰山の裾にある寺に間借りしていた。寺の山門を下ると、そこは「おひがし」の廓街で、狭い路地の両側に紅殻格子の家並みが浅野川の方に続いていた。

 大学への行き帰りに、その色街を毎日歩いた。銭湯もその色街の中にあり、屋号の文字の浮き出た灯のともった行灯の軒下を、三味線や小太鼓の音に耳を傾けながら歩いたものだ。芸子と思われる粋な女性に街ですれ違うこともたびたびだった。

 そうした街で、芸事を嗜みながら暮らす人たちには、何か独特のみやびな風情を感じた。そこにはふつうの市井では感じられない情緒や色香がほのかに匂っているようだった。それは、その街で暮らしている子供たちにまで及んでいた。

 私の住んでいた寺の境内はそうした近所の子供たちの遊び場で、夏休みになるとラジオ体操の会場にもなった。自然と私の目に子供たちの遊ぶ様子が入ってきたが、そのなかに白い肌の目の美しいすらりとした活発な少女がいて、この少女の溌剌とした表情や澄んだ声に接するたびに、私は何かしらほのぼのとした幸せを味わったものだ。

 今覚えている光景は、ある昼下がり、近くのスーパで買い物をしてをして帰ってきたとき、寺の山門までの石段に彼女が一人ぼんやり、春先の木洩れ日の中に腰を下ろしていた光景だ。そのころ彼女はもう中学生になっていたが、スカートの膝の上に頬杖をついて、何か夢見るような表情で遠くを見ていた。

 私は彼女の傍らを通り過ぎ、その少し後ろに立って、彼女の白いうなじと、彼女が眺めている街の家並みを眺めた。甍の波の上には青い空が広がり、白い雲がやさしくただよっていた。私はふと彼女に樋口一葉の物語に出てくる少女を想像した。少女も「女」になったのかも知れないと思った。

 それが私がその少女を眺めた最後ではないかと思う。数日して、私は金沢を引き払い、名古屋にやってきた。30年近くが過ぎて、青年の私はいつか白髪の中年になった。しかし記憶の中の少女は、いつまでも少女のままのやさしさで、早春の香りの中に清々しく微笑んでいる。

  色街の 少女を想ふ 春の風  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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