橋本裕の日記
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2003年04月01日(火) 北の町へ

東京へM先生と旅行したきりで、青春切符が一枚あまっていたので、一昨日の日曜日、ぶらりと各駅停車の旅に出た。木曽川から敦賀まで、途中米原、長岡で乗り換えて2時間ほどかかった。

 本を読んだり、景色を眺めたりののんびりした旅だった。沿線の景色はまだ早春と言ったところで、伊吹山にはまだ少し雪が残っていて、桜はまだまだという印象だったが、日差しは明るく、山々には春の息吹が感じられた。
  
 敦賀の駅前に「びぜんや」という喫茶店があり、ここで一服。実は20数年前にもこの店に入った記憶がある。アイスコーヒーを飲んだ後、「この店はいつ頃からありますか」と年輩のママに訊くと、「26年になります」との返事。お見合いで敦賀に来たのが24年ほど前なので、やはりこの店だったんだなとなつかしくなった。ママは岡山県(備前)の生まれで、今でも親戚はあちらだという。それで「びぜんや」かと納得した。この店のアイスコーヒーはうまかった。

 教員になった年に、私は次々とお見合いをしたが、その一人がこの敦賀に住んでいた。たしか気比中学の数学の先生だった。そこで、さっそく気比中学へ寄ることにしたが、春休みの土曜日ということもあって、人影はなし。彼女に会えると面白いと思ったものの、そんな奇跡を期待するほうがどうかしていた。

 お見合いのデートの席で、彼女が結婚の条件に出してきたのが、
�.謄譽咾聾�ないこと
�▲僖船鵐海鬚靴覆い海�
��子供をつくらないこと
名大の大学院で数学を勉強していた人で、美人で聡明な人だったが、この3条件には私もついていけなかった。もし、結婚していたら、どんな夫婦になっていたことか。

 気比中学を後にした私は、気比神宮に参拝した。玉砂利の境内を歩いていくと、まだ梅の花が咲いていた。樹齢700年になるという大きなタモの木があり、その傍らに芭蕉の句碑があった。

  月清し 遊行の持てる 砂の上  芭蕉

 奥の細道の旅の途中、8月14日の夜、芭蕉は気比神宮に来てこの句を詠んだ。遊行というのは遊行上人のことで、この境内に真砂を運んできて撒いたのだという。芭蕉もこの境内に来て、月を眺め、タモの木を眺めたのかと思うと感慨があった。

  玉砂利に かげろふの立つ 気比大社  裕

 気比神宮をあとにして、港まで15分ほど歩いた。海や船を眺め、しばらくぼーっと日光浴。それから遅い昼食を「ヨーロッパ軒」でとった。この店の「ソースカツ丼」が私の好物なのである。妻と娘の分も持ち帰りで注文し、これをリュックにいれると、急に私の背中が重くなった。

  春浅し 各駅停車の 北の旅  裕

(一年間続いた<一日一句>は昨日で終わったが、これからも短歌や俳句を作り続け、日記帳に載せていきたいと思っている)


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