橋本裕の日記
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2003年03月31日(月) 結婚まで

45.ジャージの女

 会館に着くと、私はしばらくそのロビーでくつろいだ。ロビーに人気はなく、私はソファに深く腰を下ろして、窓の空を眺めた。雨は上がっていたが、鉛色の雲が垂れていた。冷房があまり利いていなかった。上着を脱いで暑さをしのいだ。

 デデキントを読む気にもならず、私はぼんやりしていた。会館の建物は古くさく、レストランもたいして格式がありそうではなかった。私は張りつめていたものがいつかほどけて、リラックスした。列車の中で浮かんだ「結婚」についての真摯な考え方がだいぶん薄れていた。河田聡子という女性についても、じっくり観察してやろうと思った。

 私は5分ほど前にロビーを出て、会館の中にある指定されたレストランに入っていった。思った通りの殺風景な食堂で、そこも閑散としていて、窓際の席で親子連れが食事をしている他は、客が見当たらなかった。愛想のない学生のアルバイトのようなウエイトレスから水だけ貰って、河田総子の到着を待った。

 約束の12時を20分ほど過ぎて、一人の大柄な女性が入ってきた。黒っぽいジャージの運動服で、小脇に布製のバッグを抱えていた。一目見てお見合いの相手のようではなかったので、私は視線を逸らせたが、女性はそのまま私の方に歩いてきた。

「橋本さんですか」
「そうです」
「河田聡子です。お待たせしました」
 私は頭を下げると、読みさしのデデキントを背広のポケットにしまった。

 ウエイトレスが注文を取りに来た。私はオムライスを、総子はスパゲッティを注文した。彼女はウエイトレスの運んできたグラスの水を、うまそうに目を細めて飲んだ。こめかみや首筋に汗がにじんでいた。私も背広を脱いで、グラスの水を飲んだ。彼女は勤務先の気比中学を出たところで、自転車がパンクしたのだという。部活を途中で抜けてきたようだった。

「写真とまるで別人なので、分からなかったでしょうね。これが普段の私なので、ありにままを見ていただこうと思って、すっぴんのままでやってきました」
 ハンカチで汗を拭う彼女を見て、私は苦笑した。たしかに、写真ほどの美人ではなかった。
「申し訳ありませんが、2時過ぎには学校へ帰りたいのです」
「それは残念ですね」

 中学で数学を教えている総子は、バスケット部の副顧問をしていたが、顧問の教師が急に都合が悪くなって、他校との練習試合の面倒をみなければならなくなったらしい。
「昨夜、そのことでお電話をさしあげたのですが、お留守のようでした」
「帰りが遅くなりました。こちらからお電話を差し上げればよかったですね」
 総子にはやはり昨夜電話すべきだったと思った。

<今日の一句> 星星の ささやくごとし 花見酒  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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