橋本裕の日記
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2003年03月29日(土) 子供の句

17音に言葉を並べる俳句はだれでも気軽に作れる。プロやアマの区別もあってないようなものだ。句会などでも、主宰者の句がまったく選にはいらないこともあるという。俳人の楠本憲吉さんが、「俳句上達法」(講談社)にこんなことを書いている。

<「野の会」という一結社の主宰者である私が、自分の結社の例会に出ても、まったく自分の句が選に入らないことさえある。こういうとき、主宰者としては、まるで針の筵に坐らされているような思いがしてくるものだ。
 それだって、オールスコンク(まったく誰もとってくれない)だったのなら、まだいい。というのは、みんなが、「今日は主宰者は投句していないのだな」と善意に解釈してくれる可能性があるからだ。ところが、そういうときに限って、終わりの方になって、一点か二点、誰かがとってくれる。とられれば当然名乗らなければならない、「なんだ、句を出していたのか、それにしては点の取り方が少ないな」と思われていると思うとまた冷や汗>

 芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ」といっている。常識にかたまった大人や玄人の句よりも、あんがい子供の句にいいものがある。今日はそうした子供の句を楠本さんの「俳句上達法」の中からいくつか紹介しよう。

○幼稚園児の句
  日やけした パンツのあとが まっ白だ       塚田祐介
  にゅうどうぐも げんことかためて にらんでいる  平松里恵
  おぼんのひ かおよりおおきい すいかたべ    やまだあけみ

○小学生の句
  こすもすが おじぞうさんの かおなでる   辻かほり
  自転車で 走りぬけたら きんもくせい    大和剛
  稲を刈る 母はかかしに 声かけて      松本晋平

○中学生の句
  ひまわりの そこだけ夏を ひとりじめ    石灘真樹子
  坂道を すずしい風と かけ下りる      内田大介
  あぜ道の 横一列に 春がある        浜野加代子
  目の中も 青葉でそまる 雨あがり      木谷由紀子

「なぜ俳句を作るのか」という問いに、楠本さんは次のように答えている。
「人間は、つね日ごろ見たり聞いたりして感動したことを、なにかのかたちで残しておきたいと思う。それが絵や音楽、あるいは散文であったり、詩であったり、写真であったりするわけだが、私はいま、それを俳句というかたちで定着させている」

 たいせつなのは「感動」することだ。この人生のささやかな感動を再現し、そして他人とその感動を共有し、共感したいという願い、それが俳句を作る原動力になっている。子供の句が生き生きとしているのは、わずか17音になかに、この感動と共感がみずみずしく息づいているからだろう。

<今日の一句> 土筆とる 女のうなじ ほのぼのと  裕

 去年の4月からはじめた<一日一句>もやがて1年になる。毎日一句ずつ作り続けて、365句。これで四季の句がすべてそろう。ささやかなことだが、うれしいことである。


橋本裕 |MAILHomePage

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