橋本裕の日記
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17音に言葉を並べる俳句はだれでも気軽に作れる。プロやアマの区別もあってないようなものだ。句会などでも、主宰者の句がまったく選にはいらないこともあるという。俳人の楠本憲吉さんが、「俳句上達法」(講談社)にこんなことを書いている。
<「野の会」という一結社の主宰者である私が、自分の結社の例会に出ても、まったく自分の句が選に入らないことさえある。こういうとき、主宰者としては、まるで針の筵に坐らされているような思いがしてくるものだ。 それだって、オールスコンク(まったく誰もとってくれない)だったのなら、まだいい。というのは、みんなが、「今日は主宰者は投句していないのだな」と善意に解釈してくれる可能性があるからだ。ところが、そういうときに限って、終わりの方になって、一点か二点、誰かがとってくれる。とられれば当然名乗らなければならない、「なんだ、句を出していたのか、それにしては点の取り方が少ないな」と思われていると思うとまた冷や汗>
芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ」といっている。常識にかたまった大人や玄人の句よりも、あんがい子供の句にいいものがある。今日はそうした子供の句を楠本さんの「俳句上達法」の中からいくつか紹介しよう。
○幼稚園児の句 日やけした パンツのあとが まっ白だ 塚田祐介 にゅうどうぐも げんことかためて にらんでいる 平松里恵 おぼんのひ かおよりおおきい すいかたべ やまだあけみ
○小学生の句 こすもすが おじぞうさんの かおなでる 辻かほり 自転車で 走りぬけたら きんもくせい 大和剛 稲を刈る 母はかかしに 声かけて 松本晋平
○中学生の句 ひまわりの そこだけ夏を ひとりじめ 石灘真樹子 坂道を すずしい風と かけ下りる 内田大介 あぜ道の 横一列に 春がある 浜野加代子 目の中も 青葉でそまる 雨あがり 木谷由紀子
「なぜ俳句を作るのか」という問いに、楠本さんは次のように答えている。 「人間は、つね日ごろ見たり聞いたりして感動したことを、なにかのかたちで残しておきたいと思う。それが絵や音楽、あるいは散文であったり、詩であったり、写真であったりするわけだが、私はいま、それを俳句というかたちで定着させている」
たいせつなのは「感動」することだ。この人生のささやかな感動を再現し、そして他人とその感動を共有し、共感したいという願い、それが俳句を作る原動力になっている。子供の句が生き生きとしているのは、わずか17音になかに、この感動と共感がみずみずしく息づいているからだろう。
<今日の一句> 土筆とる 女のうなじ ほのぼのと 裕
去年の4月からはじめた<一日一句>もやがて1年になる。毎日一句ずつ作り続けて、365句。これで四季の句がすべてそろう。ささやかなことだが、うれしいことである。
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