橋本裕の日記
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2003年03月28日(金) 戦場のピアニスト

 高校生と大学生の二人の娘が映画「戦場のピアニスト」を見て、憂鬱な顔をして帰ってきた。戦争の非人間的な現実を知ってずいぶんショックをうけたようである。次女の方は泣いてばかりいたそうだ。私も数日後見に行ったが、やはり本当に怖ろしくてぞっとした。

 昔、戦争体験者の父と一緒に戦争映画を見に行ったとき、父だけ途中から帰ってしまったことがあった。あとで聞くと、「吐き気がして見ていられなかった」と言っていた。私にはその気持がよくわかる。生理的嫌悪感はいかんともしようがない。怒りを感じるので、血圧にも悪い。

 私は暴力の描かれた映画を見ない。見ていて腹が立つし、不愉快になるからだ。戦争や暴力を娯楽にして楽しむような風潮が心配である。戦争は決して「カッコイイ」ものではない。「戦場のピアニスト」にはその愚かさと悲惨さがよく描かれていて、人間という得体の知れないものの怖さが胸に重くのしかかってきた。娘達同様、私も暗い顔をして帰ってきた。妻はそんな映画ははじめから見る気がしないと言う。

 それにしても、どうしてこのような悲惨な戦争が繰り返されるのだろう。こう書いている時にも、アメリカの近代兵器がイラクを攻撃し、そこに死人の山を築いている。反戦を叫ぶ人々に対して、それではフセインの独裁体制やテロはどうするのだと主戦論者は主張する。このことについて、スピンさんが掲示板にこんな書き込みをして下さった。

<結局のところ、戦争をするかしないかという点だけを問題にするのは議論を歪めてしまうと考えます。文明から見放され死んでいくしかない人々がいる限り、武力攻撃によってテロを根絶することはできません>

 たしかに何がアルカイダのテロやフセインの独裁体制を生み出したのか、その根本にある貧困や差別の問題を考え、そうした本質論を踏まえて矛盾を解決する必要がある。戦争反対を叫んでいるだけではなく、どうしたらこの矛盾が解決できるか、建設的で実践的な議論と行動が必要だろう。「反戦」を叫ぶだけでは能がないが、「戦争だ。やってしまえ」というのは短絡的で、愚かしい野蛮である。

<今日の一句> 木の芽道 いまは桜の 花の道  裕


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