橋本裕の日記
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俳人の飯田龍太さんが「現代俳句歳時記」(新潮選書)のあとがきに、「北窓の風景」という文章を載せている。その中の一部を引いておこう。
<私は俳句というものは、いわば、北窓の風景のようなものではないかと考えている。たとえば吟行と称する作句の場がある。宿に着くと、だれもが一斉に日当たりのいい、ながめのいい南側の窓に集まる。海が見え、港が見える。なるほど美しい景色だ。しかし、そんなところに俳句はない。
試みに、こっそり北窓に近づいてみてはどうだろう。ひっそりとした家々のたたずまい。わけても、山々の襞は、四季春秋、そのいずれの季を問わず、敏感に時を刻んでいる。季節が最も鮮やかであると同時に、おのれの心象を克明に示している>
それでは、この「北窓の風景」にふさわしい佳句を、飯田さんの「現代俳句歳時記」の中からいくつか並べてみよう。いずれも春の句である。
春の雲母にひとりのとき多く 田中一荷水 かげろふを壊してゆきぬ小学生 滝沢宏司 古池に浮くも映るも山椿 有泉七草 春浅し海女小屋にあるランドセル 河西ふじ子
飯田さんによると、俳句に向いているかどうかを知るリトマス試験紙は歳時記だという。歳時記に載っている季語にざっと目を通して、「どの季語にも、何の感興も湧かない人は、まず、俳句の恩寵から遠いと考えてよい」そうだ。私自身に照らしてみると、最近は歳時記を見て、いささか感興を覚えるようになった。これも年輪かも知れない。
(今日はサーバーへの接続不良で日記のUPが遅れました)
<今日の一句> 春浅し 今日も蕾を 見てゐたり 裕
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