橋本裕の日記
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2003年03月14日(金) 映画作りの夢

「ナナカマドの挽歌」という1982年の日本映画を見た。監督は木村元保。北海道の山奥の飯場で働く子連れの若い女が主人公。あらくれ男達の中で健気に働く様子がいじらしい。

「ナナカマド」は7回カマドで焼かれても生き残るという生命力の強い樹だという。ナナカマドの実は食物のなくなる真冬まで残っている。そのことを鳥達は知っていて、外の食物がなくなるまで手をつけないので、雪野原の中に赤い実だけ残っている。

 冬の雪の河原に点々と残っているナナカマドの燃えるような赤い実を見つめながら、主人公の女は辛い環境に耐えている。彼女には不幸な過去があり、幼い長女を手にかけたあと、自殺しようとして、失敗している。首を吊ったとき妊娠していて、その腹の中の子供の重みで首を吊ったとき釘が抜けて未遂で終わったのだ。

 取り調べ室で年輩の刑事がさとすように言う。 
「あんたのお腹の中の子があんたの命を救ったんだ」
 女はこんな言葉に励まされて、次男を産み、その子供を連れて生活能力のない夫から逃れ、ひっそりと山奥の飯場に身を隠していた。ところがそこへ、夫が女との復縁を迫って、子供を奪いに来る。

 抵抗する女に、夫は長女を殺した母親の手に子供を置いておくわけにはいかないという。その場に崩れる女。こうして子供は男の手に渡るわけだが、このあとの意外な展開で奪われた子供が帰ってくる。

 子供と強く生きることを決意する女は、彼女を辱めようとしたあらくれ男達のいる浴場に真裸で子供を抱えて入っていく。言葉を失う男達。彼女に好色の目を向け、なにかやといやがれせをしていた男達が彼女の美しい捨て身の勇気の前に兜を脱ぐ。男達はその美しさに感激し、男達と彼女のあいだにはやがてほのぼのとした人間愛が醸しだれる。

 この映画を監督した木村元保は1976年に、16歳の原田美枝子の大胆なヌードで話題になった増村保造監督の「大地の子守歌」をプロデュースし、海外の映画祭でも多くの賞を獲得した。その後、1978年には再び増村保造監督と組んで宇崎竜童がサングラスを外して勝負を賭けた「曽根崎心中」を制作した。これも賞をとり話題になった。
 
 そして1981年には当時無名だった小栗康平を監督に登用して「泥の河」を製作している。「泥の河」は配給会社も決まらず、青山の草月ホールを借りて三日間だけの先行試写会&ロードショーを行った。ところがその評判が思った以上によくて、数カ月、東映セントラル配給が決まり「泥の河」が一般上映されることになった。

 これらの作品はいずれも各国の映画祭に出品され、数々の賞を獲得した。国の内外を問わず、高い評価を得ている。しかし興行的な儲けはなかったという。制作費を何とか回収できた「泥の河」を除けば、いずれも制作者に借金を残したという。

 木村元保(きむら・もとやす)はもともと東京の下町で鉄工所を営む中小企業の社長だった。かれは家業で得た利益で好きな映画製作に惜しみなく投資した。8ミリから入った映画作りの夢は、16ミリ、35ミリ映画へとはばたいた。「儲かる映画」をつくることではなく、「よい映画」をつくることだけが夢だったという。そしてその夢が「泥の河」でついにかなえられた。
 
「泥の河」について木村元保は「あの映画、一箇所だけ失敗している。ラストシーンでカットが変わると船が逆に進んでいるんだ。小栗も若いからな」と自分で作りたそうに言っていたという。それから数年後、みずから監督したはじめての作品が「ナナカマドの晩歌」だった。木村元保は2002年2月28日になくなっている。享年67歳だった。

<今日の一句> かげろふの 中より来たる 少女あり  裕


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