橋本裕の日記
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2003年03月08日(土) 戦後世代の戦争責任

 留学中の若い日本女性が、韓国の人から戦時(第二次世界大戦)中の日本人の非道行為を指摘されて、泣いてあやまったという話がウェブサイトで紹介されていた。これについて、どう考えたらよいか。

 ある人は、これは日本の教育の問題だという。第二次大戦で日本がどのようなことをしたのか、またこの戦争はどうして起きたのか、その辺りのことがしっかり教えられていない。だから、韓国の人から聞かされてびっくりする。

 知識がないのだから、反論しようもない。その場の成り行きで、つい謝罪してしまうことになる。これは無知なるがゆえの悲劇である。学校でもっとしっかり近代史を教えられていれば、このようなナイーブな対応にならなかったのではないか。

 またある人は言う。たとえ日本人がアジアを侵略し、非道な行為をしたとしても、そのことで彼女があやまる必要はない。なぜなら、彼女自身はこの非道な行為に荷担したわけではないからだ。彼女の祖父母の代に起こったことで、彼女が責任を感じる必要はない。彼女に謝れと言う方が理不尽である。

 私はこの二つの意見におおむね賛成だ。戦後生まれの彼女に戦争責任がないことはあきらかである。たとえば父親が殺人を犯したとして、その娘まで罪を問われるだろうか。父親と娘は別の人格である。国家の行った戦争についてもおなじことだ。

 しかし、にもかかわらず、私は彼女は自らを恥じるべきだと考える。なぜなら彼女には戦争責任はないが、戦争について、もっと一般的に言えば自国の歴史について知る責任があるからだ。学校で教えられていないからというのは言いわけに過ぎない。

彼女はそのことを自ら学ぶべきであり、選挙権を持つ成人が自国の歴史について無知であることは恥だと思い知らなければならない。つまり、彼女が韓国の人たちに非難されるとしたら、それは戦争責任についてではなく、まずは自国の歴史についての無知についてである。

 それでは何故われわれは自国の歴史を知らなければならないのか。また、そこから何故さまざまな責任問題が生じてくるのか。それは私たちが歴史の遺産の中に暮らしているからだ。私たちが暮らしているこの豊かな日本がどのようにして形成されたか、その過程でどのようなことが行われたか。私たちがその遺産の恩恵を受けている以上、私たちはそのことを正しく知り、そのことについて道義的な責任を果たしていく義務がある。

  また、こうした観点に立って、私たちは今日の日本の教育を見直してみる必要がある。たしかに日本の若い世代が自国の歴史について未知であることは恥ずべき事だが、そのことをしっかり教えようとしなかった私たちの世代にも大きな責任がある。というよりか、私たちの世代ですら、自国の歴史についてどれほどのことを知っているのだろう。真に恥じるべきは私たち中高年の世代かも知れない。

<今日の一句> なにゆえに 春は淋しき 雨の音  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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