橋本裕の日記
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平四郎(犀星)が「かぶとむし」とあだ名をつけた美しい少女のりさ子はその後、長男の平之介の嫁になる。りさ子はこの結婚に乗り気でなかったが、平四郎や杏子が彼女の背中を後押ししたからだ。平之介ももちろん幼なじみのりさ子には好意以上のものを持っていた。
ところがこの結婚はわずか3ケ月で破綻し、りさ子は離婚を決意して、実家に帰ってしまう。どうしてこんなことになったのだろうか。平之介とりさ子の会話を、「杏っ子」の中から拾ってみよう。
「あれは釣りがね草というんだ。東京では見られない花なんだよ」 「花にしては癖のある花ね、つりがねの形なんかして」 「君は花が嫌いなの」 「こうして坐っていると、東京が後ろになってだんだん見えなくなるような気がするわ。東京は石と鉄とで作られていて、わたくし達にはどんな花より美しいわ」
新婚旅行で軽井沢に行く途中の車中での会話である。自然の花よりも人工的な都会が好きだというりさ子に、平之介は自分と異質な感性を感じる。おもわず「君は変わったね」と言う。そして、「これまで恋愛したことはあるのかい」と訊ねる。
「毎日恋愛しているみたいよ。形ではなく眼で、よその眼が毎日電車でも会社でも、わたくしのまわりをうろうろしてくるわ」 「りさちゃんは大変な人だね、まるで平気でそんなことを言っている」 「女は人に好かれたとき、ちょっと通りがかりでも人に好かれたなと気づいている時に、自分で美しくなろうという事をおしえられるものなのよ、それほど大切なことではないわ」 「それは恋愛じゃないじゃないか」 「わたくしはそれも恋愛だと思うのよ。男なんて毎日首飾りの真珠に番号を打ってゆくみたいなものよ」
「君はもっと、恋愛とか遊びごっこがしたかったのだ、そこを無理に足を洗ったから、それがいまになると惜しくてだだを捏ねているんだ」 「そう解釈していただいてもいいわ、とにかく結婚生活くらい、つまらないものないわ、毎日が退屈だし、あなたの言うとおりの生活が強いられるんだもの、自分で考えたことなど一つも出来やしない」
幼い頃からその美しさで他人の注目を浴びてきた彼女は、もはやこうして他人からちやほらされ賞賛されることによってしか自分というものを確認できず、そうした他者依存的な生き方しかできない空虚で自己中心的な人間になっていた。平之介は、新婚旅行先ですでにこうしたりさ子に絶望し、りさ子との将来に見切りをつける。
家を出たあと、平四郎のもとにりさ子から手切れ金を要求する手紙が来る。平四郎はお金を送る。それきり、りさ子の消息は途切れてしまった。おそらくあまりいい人生は送らなかったに違いない。美しいということは、時として残酷なことである。
<今日の一句> 教室に 子らをしのびて 日向ぼこ 裕
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