橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2003年03月01日(土) 優雅な日々

 娘達が幼い頃、名古屋市の名東区西里町に住んでいた。星ヶ丘からバスに乗って、10分ほどのところである。庭付きの一軒家を借りていた。この家に8年間ほど住んだ。

 その頃は夜間の定時制高校に勤務していたのでゆとりがあった。朝食の後、私は本を抱えて、少し離れた喫茶店まで散歩がてら出かけるのが日課だった。ところが当時幼かった長女が私について行きたいといって泣いた。私は長女に見つからないように家を抜け出さなければならない。

 あるとき裏庭から垣根を越えて逃げ出そうとして、向こう側に飛び降りたとき、足を挫いたことがあった。垣の上から路面までかなり落差があり、足を挫いたとき、私は仰向けに転がった。そのとき運悪く通行人に目撃されてしまった。通行人は上から人が降ってきてびっくりしただろう。何とも涙ぐましい脱出劇だった。

 しかし、娘たちの歓声がうるさいわが家を脱出してしまえば天国である。職場へいそぐ人々を尻目に、私は悠々と街を歩き、お気に入りの喫茶店の窓際の一角に腰を下ろし、コーヒーを飲みながらゆっくり読書をする。この喫茶店で万葉集を全巻読んだし、トルストイの「アンナ・カレーニナ」やその他様々な東西の古典を読んだ。

 ハイデガーの「存在と時間」やその他の哲学書、思想書などもこの喫茶店で読んだものだ。今このHPにいろいろ書いていられるのも、この8年間の贅沢な読書体験があったおかげかも知れない。

 喫茶店から帰ったころには、妻の仕事もかたづいていて、娘達は妻に連れられて近所の公園に遊びに行く。家の中が静かになるので、私は机に向かい、小説や随筆の執筆をした。8年間で40編近い短編小説を書いて「作家」という同人誌に発表したが、これも贅沢な閑暇の恵みがあったればこそである。

 夕食は学校で給食なので、その頃は昼食がわが家の一家団欒の中心だった。昼食の後、私が子供たちの手を引いて公園に散歩に行く。近所の奥さん達にまじって子供を遊ばせる。散歩から帰ると、娘達と入浴。それから一休みして、4時頃に毎日家を出る。仕事を終えての帰宅は10時少し過ぎになった。

 夜の勤務は大変だが、そのかわり午前中と午後を自由に使えるのは魅力的だった。とくに娘達が幼い頃、こうして濃密な家族の時間をもてたことは素晴らしいことだった。会社人間とは違って、文学という自分の趣味に加えて家庭の幸せを満喫できた8年間は、私にとって黄金の日々だった。

 私が定時制高校に転勤した理由は、豊田にある新設高校ですっかり消耗したからだった。高校の教師であることを辞めることも考えたが、そのとき定時制高校に勤務していたテニス仲間の友人が私に定時制高校に転勤することを進めてくれた。これは私にとって一つの決断だった。しかし、この決断によって私はこのような類い希な至福の時を恵まれることになった。人生何が転機になるかわからないものだ。

<今日の一句> 卒業の 子らを送れば 梅の花  裕

 3年生の学年の打ち上げで泊まったホテルには温泉があった。飲んで歌った後、露天風呂の温泉に入って、3年間の疲れをいやした。近くに梅の花が咲いていて、その樹から香りがただよってきた。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加