橋本裕の日記
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40.月明かりの女 貴子の通っている自動車学校は庄内川沿いにあった。そこへ貴子は20分ほどかけて自転車で通っていた。受付係に懇意にしている女性がいて、私のことを話したら、興味を持ったようだという。 「彼女、通信制の高校に通っているのよ。それで、学校の先生に興味があるみたい」 貴子の話では受付係りと懇意にしておくと、予約を取るとき便宜を図ってくれるそうだ。
「それで、その人の歳はいくつ?」 「二十八歳かそのくらいね。橋本さんは?」 「二十九歳だよ」 「二十五歳くらいかと思っていたわ」 貴子は二十歳になったばかりだったが、体はもう少女ではなかった。ソファに並んで腰を下ろしていて、私の視線はしばしば彼女のホットパンツの腿に吸い寄せられた。なめらかな肌と黒髪の匂いが私の官能をくすぐった。
私は貴子の方に体を寄せた。手を彼女の膝頭に置いた。ホットパンツの裾から手を入れると、なま温かい肌の感触が伝わってきた。すかさず貴子が私の手を押さえた。 「進入禁止よ」 「どうして?」 「私、あそびは嫌いなの」 真剣な彼女の様子を見て、私は手を引いた。それから元の位置まで、体を離した。
貴子は表情を緩めて、 「入校はいつ?」 「あさってにも行ってみるよ。自転車を買わないといけないな」 「私のを貸して上げてもいいわよ」 「君はどうするの?」 「明日が仮免なの。合格したらもう使わないから」 貴子は自転車のスペアキーを持ってきてくれた。
私はキーを受け取ると、入校案内を手にしてソファから立ち上がった。 「トランプしない?」 貴子はパンツのポケットからトランプを取りだした。私は明日のお見合いの相手から電話がないか心配になっていた。 「ちょっと用があるんだ」 玄関先まで送りに来た貴子に、私はおどけて自分の片頬を差し出した。貴子は指を唇に触れると、私の頬に押しつけた。
貴子の部屋を出て、階段を上がりかけたところで、私の足が止まった。二階の手すりに凭れている白い人影に気付いたからだ。和江に違いなかった。私は少しずつ後ずさりして、再び貴子の部屋の前に立った。そしてチャイムを押した。私を見て、貴子は八重歯を見せた。私が「トランプ」をするために戻ってきたと思ったのだろう。私はこの誤解を訂正しようとは思わなかった。
私はソファに座って、貴子の並べるトランプの札を眺めながら、ハンカチで額の汗をしきりに拭いた。階段で和江に見られたような気がした。和江が今にもドアをノックしそうで、私は動揺していた。
<今日の一句> シクラメン 我を迎えて 匂ひ立つ 裕
何日も前から、わが家の玄関に鉢植えのシクラメンが飾られている。それを眺めながら私は外出し、そして帰宅する。先日妻にこの花のことを「サクラメン」と呼んで笑われた。とんでもない言い間違いをするのは歳のせいではなく、私の生来の頭脳構造に欠陥があるためらしい。教室で「三角関数」のことを「三角関係」と教えたり、デパートの売場では「ブレザー」のことを「ブラジャー」と呼んで、店員の失笑を買ったこともある。
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