橋本裕の日記
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| 2003年02月23日(日) |
世界一幸せな庶民の国 |
幕末に日本を訪れたアメリカ人が「王侯貴族に生まれたらイギリスが一番だが、庶民に生まれたら日本が一番だ」と書いているそうだ。そのくらい当時の庶民は世界的水準からいって恵まれていた。
江戸は当時世界一の人口をもっていたが、この巨大都市を管理する町奉行所の役人は290人に過ぎなかった。それだけの人数で120万都市の行政、警察、裁判、消防が整然と運営されていたわけだから外国人が驚くのも無理がない。
前にも書いたことだが、江戸の人たちはほとんど長屋に借家住まいをしていたわけだが、大家に借家料を払うわけではなかった。そのかわり毎日下のものを出していればよかった。大家はそれを農家に売っていた。こうしたリサイクルが成り立っていたので、江戸は西洋の都市のように汚物に汚染されることもなく清潔だった。
当時の江戸には、1500余りの寺子屋や塾があった。幕末の全国では、1万5千にものぼるという。寺小屋を経営していたのは僧侶や神官、武家、裕福な農民などだった。これも基本的にボランティアだった。だから、決められた授業料を徴収されることもなかった。
それでもこれほど多くの寺子屋があったのは、寺小屋の師匠になると人別帳(戸籍)に「手跡指南」など知的職業人として登録され、地域でも「お師匠様」と呼ばれて尊敬されたからだという。優秀なお師匠様は将軍に直接拝謁して、お褒めの言葉をもらうこともあったらしい。
日本人の多くはたいていこのような寺小屋に通い、そこで読み書きソロバンを習った。時には農業用語や漢文を教えられた。そのせいで、たとえば江戸の人々の識字率が70〜85パーセントもあった。同じ頃大英帝国の首都ロンドンの識字率が20〜25パーセントだったことを思うとこれは驚異的なことだ。しかもこうしたことがすべて民間のボランティアで賄われていた。
こうした寺子屋で、尊敬する師匠から、子供たちは何年にもわたって一人一人の個性に応じた教育を受けた。たんなる知識の暗記ではなく、もっと人間的な全人教育をうけたのである。寺子屋で使われた教科書の実物が7千種以上残っているが、商売、大工、農民の技術、地理や物産、生活習慣を教える教科書など、それぞれ工夫をこらした独創的なものだという。和紙で綴じられた教科書は頑丈に出来ていて、何代にもわたって生徒に貸し出されたらしい。
ペリーが日本に来て、日本に開国を強く求めた。そのとき幕府の役人にさまざまな文明の利器を見せつけた。そして「日本人も早く開国して、早くわれわれのような文明人の一員になるべきだ」と迫った。そのとき、役人の一人がすかさず、「そしてあなた達のように、平和に暮らしている他国の人々を軍艦と大砲で威嚇しろというのですか」と応じたという。
不幸なことに、日本はペリーの忠告に従った。そして半世紀後、日本は軍艦と大砲で他国を威圧し、侵略するようになる。寺小屋はなくなり、国民はことごとく官制の学校で教育勅語や軍事教練をやらされた。そして戦争による出兵と巨額の軍事費のため、庶民の生活は疲弊し、農村が荒廃した。そしてこの農村の荒廃が、さらに軍国主義への道へと人々を狂奔させた。
(参考サイト) http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog091.html http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog091.html http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog024.html
<今日の一句> 水仙の 一むら咲きて 足をとめ 裕
昨日、妻と二人でお茶を飲みに出かけて、店先に水仙の花を見つけた。水仙は私の故郷の福井県の県花である。私の大好きな花。小さいときから、この花が咲くのを見て、春を感じてきた。わが家の庭にも友人から貰った水仙が植えてあるが、どうしたことか一度も花を咲かせない。日当たりが悪いせいかもしれない。
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