橋本裕の日記
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| 2003年02月22日(土) |
経済における政府の役割 |
アダム・スミスは「国富論」のなかで、政府が市場に関与することに反対した。市場は自由競争という市場の原理に任されるとき、もっともよく機能すると考えた。この考え方は今も生きていて、市場主義とよばれる。
これに対して、ケインズは市場はそれ自身の原理に任されるべきではなく、国民の福祉に寄与するように政府が関与すべきだと考えた。これは市場主義を認めながら、アダム・スミスの市場優先の考え方を修正した立場である。
この他に、市場そのものを完全に政府の管理のもと置くという社会主義の経済学理論があるが、ソビエト連邦の崩壊により、今日、この理論はかえりみられなくなった。残った二つの理論が競い合っている。
大ざっぱにいえば、アメリカやイギリスのアングロサクソンは市場優先の立場である。政府の規制や関与をなるべく少なくして、自由競争の原理で経済を発展させたいと考えている。そしてこれをグローバリズムという名前で呼んでいる。
これに対してヨーロッパは修正主義の立場だ。市場経済を尊重しながら、これを適当な規制や法律で管理し運営しようと立場である。そこからたとえばワークエアリングなどという考え方も出てくる。
私の立場はいうまでもなく、修正主義の立場である。政府は市場経済に積極的に関与しなければならないと考えている。しかし、実はその前にひとつだけ前提がある。それは政治家や官僚が充分に経済を理解していること、簡単に言えば「賢い政府」でなければならないということだ。
このことはアダム・スミスがなぜ、市場の政治からの独立を主張したのか考えてみればわかる。そのころのイギリスには汚職がはびこり、利権政治が横行していた。商人達は政治と結びつき、利益を独占しようとしていた。こういう状況では、市場の独立を最優先に考え、規制をなくし、政治の支配を斥けるべきだとする主張もよくわかるのである。
市場を「愚かな政府」に任せてはいけない。そのくらいなら、市場を市場そのものの手にゆだねたほうがよい。しかし、私たちにはもっとすぐれた方法が残されている。それは政治を変えて、「愚かな政府」をより「賢明な政府」にかえることである。そのことによって、経済もより民主的で人間的なものにすることができる。
<今日の一句> 梅の花 ほのかに匂ふ 野道行く 裕
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