橋本裕の日記
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愛知県の高校では生徒の出入り口を昇降口と言っている。階段があるわけでもないのに、何故昇降口なのかわからない。他の県ではどうなのだろう。生徒出入り口とか生徒玄関とか呼んでいるところもあるのだろうか。
「日本の軍隊」(吉田裕、岩波新書)によると、私たちが使っている日常語の中には軍隊用語がかなり浸透しているという。たとえば、「残飯」「点検」「たるんでいる」「処置なし」「ハッパをかける」「気合いをかける」などは軍隊で生まれた言葉だそうだ。あるいは「昇降口」もこのたぐいかも知れない。言葉だけではない。学校や工場で、軍隊の遺制はしぶとく余命を保っている。
さて、豊田市にあるT高校はNHKのテレビで「管理教育の徹底した学校」として紹介されたが、この学校を一目見ようと全国から視察の人たちもやってきた。そうした人がまず最初に案内されるのが昇降口である。塵一つない昇降口の下足箱の中には、下足がその向きをそろえられて整然と並んでいる。その光景を見て、訪問者はいかに生徒が一糸乱れず徹底的にしつけられているか驚かされる。
全国にどのくらい学校があるのか知らないが、下足の向きまで完全にそろっている学校は少ないだろう。どうしてそんことが可能かと言えば、教師がそれをチェックしているからだ。下足の向きが違っている生徒がいると、番号に印がついた名票が担任のところに回ってくる。生徒は朝のSTで注意されて、すぐに昇降口に走るのである。
だから生徒もそんなへまはしない。校則に従って、素直に下足の向きを揃える。教員が言われた通り、机の上を空にし、入り口の名札を裏返しにして帰るのと同じである。しかし、教員に天の邪鬼がいるのと同じく、生徒にも天の邪鬼がいる。私のクラスのS君である。印の点いた名票が私のところに回ってきたので、「下足の向きが違っている」と注意すると。「どうして反対ではいけないのですか」と反問してきた。
「学校の規則だから従うべきだ」と型どおりの答えを言う。 「なぜ、そんな規則があるのですか」 「この学校はお客さんが多いだろう。お客さんを真っ先に昇降口に連れて行くんだ。下足をそろっていると、この学校は生徒のしつけが行き届いていて、良い学校だなと思ってもらえるだろう」 「それではお客さんによく思われるために、下足をそろえるのですか。なぜ、お客さんによく思われないといけないのですか」
食い下がってくるS君を説得できなかった。何しろ私自身、「下足の向きなどどうでもいいじゃないか」と腹の中で思っているのである。説得に力が入らないし、迫力もなかった。S君は下足を直しに行こうともしないし、翌日も、その翌日も私に名票がまわってきた。
職員室の私の席はB指導部長の前だった。職員室の机の配置は、各部ごとにまとまっていて二人ずつ向かい合っているが、部長や主任だけは教頭の同じ向きで、ヒラの教員を監督できるようになっていた。B部長の席の前に私と指導部副主任が向かい合っていた。誰がどの席に座っているかで序列がわかったが、私は副主任についで指導部No3の位置にいた。席が決まっているのは毎朝職員朝礼が行われる会議室でも同じだった。とにかく序列にうるさい学校だった。そして教員や生徒までがそれを気にするのである。
「おまえのところのSはどうなっているのだ。毎日下足が駄目じゃないか」と、B指導部長がとうとう苦虫を噛みつぶしたような顔で声をかけてきた。 「どうにも、説得ができません」と私はうなだれた。指導部員として面目ないことだ。あきらかに力量不足である。教師としても情けない。 「すぐに呼んでこい」と部長の声が荒くなる。 授業中に呼び出すと、さすがS君も青ざめていた。B部長は怒ると目つきが違ってくる。教員の私でさえ蛇に睨まれた蛙のようになるのだから、生徒が恐怖心を抱いくのも無理はない。
私はS君もすぐに折れるだろうと思った。ところが、指導部長の前で床に正座させられても彼は態度を変えなかった。「つべこべいわずに、規則に従え」と声を荒げるB部長に、「納得できません」と食い下がっている。B部長の目が怒りに煮えたぎっていた。私はそっと目を伏せた。やはり保護者召喚かなと憂鬱になった。しかし下足の向きが違っているので、保護者を呼び出すなどということは何とも馬鹿らしい。
B部長もそこまで決断ができなかったようだ。 「担任の側で、正座していろ」 そう言い残すと、不機嫌を体に現し、物も言わずに職員室を出ていった。S君は立ち上がると、今度は私の横に来て正座した。 「直してこいよ。もう終わりにしよう」と言うと、 「いやです」とはっきりいう。
そのとき、私は高校時代体育の時間、教師に抗議して座り込んだ気骨のある同級生がいたのを思い出した。そのとき、私も彼の傍らに座ることで「こんなことはやめてください」とはっきり意志表示をした。結局クラスで7人ほどが座り込み、私たちは教官室に呼ばれて説教されたが、そのときの自分たちの行動を私は誇りに思っている。人生、意地を張りたくなるときもある。私ははじめからS君を叱責する気にはならなかった。むしろS君に同情していた。
チャイムがなり、教員たちが職員室に帰ってくる。 「どうしたのですか」と口々に訊かれて、 「ちょっと、下足の向きがね」と私は苦笑するしかない。クラスの生徒が何人か入り口からこちらを眺めていた。次は私の物理の授業だった。 「どうする、まだ坐っている?」と訊くと、 「はい」と彼はうなずいた。しかしもう慣れない正座が限界に達していることはあきらかだった。
授業の途中、彼はやってきた。しかし、彼は私と目をあわさなかった。授業が終わって昇降口に行くと、彼の下足の向きがなおっていた。私はホッとしたが、同時に淋しくなった。S君は納得したわけではない。私も含めて学校の教師に不信感を抱いたことだろう。私は自分と生徒との間が次第に遠くなっていくのを感じて、こんな学校に長くはいたくないなと思った。 <今日の一句> てのひらに 春の光りを すくひたり 裕
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