橋本裕の日記
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2003年02月14日(金) 辞書一冊の抵抗

 トヨタの本社や工場のある豊田市はいわばトヨタの城下町である。市の名前も「トヨタ」から来ている。そのむかしは「ころも」という地名だった。今でも「衣台」とか「衣小学校」といった名前が残っている。

 私は20数年前にこの豊田市にあるT高校に勤務していた。T高校はトヨタの工場地帯にある新設高校で、この高校で私が経験した愚かな出来事の数々は、とても限られたページで書けることではない。この学校は今から考えると信じられないほど前近代的(ある意味では近代的)な教育システムで運営されていたからだ。

 この教育システムは「愛知の管理主義教育」と呼ばれて全国的に有名で、NHKが学校に取材に来て、この題名で3時間ものの番組にして放映したことがある。私の物理の授業風景も撮影していったが、どうみても管理的だとはいえなかったせいか、放映されなかった。

 私がちょいと登場するのは、月曜日に行われるグランドでの朝礼の場面で、私は当時担任をしながら、指導部の朝礼係りもしていたので、すこぶる忙しかった。あるとき、チャイムを切り忘れて、国家・県旗・校旗掲揚の君が代の斉唱中にチャイムがなったことがあったが、I校長は「この学校にはアカがいるぞ」と大荒れだった。こういう学校だったので、生徒も教師も緊張の連続だった。

 毎朝第0限と称して早朝補習があるのだが、ある日、車がパンクして10分ほど遅刻したときは、その朝の職員朝礼で、「橋本君、勝手に遅刻しては困ります」と万座の中で進路主任から叱責を受けた。ちなみに職員朝礼は毎朝会議室で、直立不動のまま、「おはようございます」と教頭が号令をかけて、いっせいに正面の校長に最敬礼する儀式ではじまった。

 職員朝礼の時に、校長から「樋口(仮名)、教頭の命令は俺の命令だ。わかったか」と恫喝された人もいた。職員の名前は呼び捨てである。I校長は教育委員会から来てこの学校を作り、このあと、また教育委員会にもどり、課長や部長に昇進し、最後は愛知県で名の知れた伝統校の校長になった。絵に描いたような出世コースをたどった人である。

 私がその学校に転勤してきてまず教頭から言われたのは、「橋本君、この学校は勤務はきつい、しかし校長さんは教育委員会からきた実力者だから、将来は悪いようにはしないよ」だった。露骨な言い方をする品性のない管理職だとあきれたが、校長はこれに輪をかけた出世欲の亡者らしかった。実際、あと一歩で教育長になるところだった。

 ところで、校長から呼び捨てで叱責された樋口さんは、なぜ叱られたのかというと、机の上に毎日国語の辞書を一冊だけ置いて帰っていたからだ。この学校では、帰るときは職員室の机の上に何一つ置いて帰ってはいけないことになっていた。本立てや教科書、辞書はもちろん鉛筆一本も置いたままにしてはいけないのである。だから休日などは職員室のすべての机の上が、見渡す限り平になっている。

 そうした中で、樋口さんの机の上にだけ、いつもぽつんと辞書が残されていた。教頭は何度か口頭で注意し、自分で片づけてもいたようだが、樋口さんは承知の上で辞書を起き続けた。なかなか勇気のあることである。私が心中でひそかに拍手を送ったことはいうまでもない。(つづく)

<今日の一句> 大根の 花咲く頃や 子の入試  裕  


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