橋本裕の日記
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2003年02月13日(木) 味噌煮込みうどん

もう十数年も前のことだが、定時制の高校に勤務していたころ、生徒に味噌煮込みうどんをおごってもらったことがあった。数日前、妻と味噌煮込みうどんを食べに行って、ふと思い出したので、今日はそのいきさつを書いてみよう。

 生徒と言っても、Kさんは私よりも年上の、当時四十代半ばのおじさんだった。電気工事の会社に勤めながら、定時制高校に通っていた。このKさんが、卒業を前にした冬に、教室で大量の血を吐いた。

 私が駆けつけたとき、いつもは赤ら顔のKさんが蒼白い顔をして、机の前に坐っていた。血が机から床に流れ落ちている。血だまりの中に、白い錠剤が見えた。どうやら鎮痛剤を飲んだ直後に吐血したようだった。Kさんの傍らに立ちながら、救急車がくるまでの時間が、とほうも長く感じられた。

 その頃はまだバブルの最中で、Kさんは過重労働をしいられていた。しかも学校も休むことなく、学校が終わった後も夜勤をしたりして、無理に無理を重ねていた。医者に行く時間がなかったので、胃が痛いのを市販の薬を飲んでなだめていた。その薬もしだいに強力なものになり、量も増えていたようだ。

 彼を救急車に載せたあと、私も車で病院に直行した。検査を受けるのを見守り、医者の話を彼と一緒に聞いた。かなり胃潰瘍がひどいということで、しばらく入院をして安静にしなければならないという。

 入院は彼にとって、貴重な人生の休養になったようだ。病院に見舞いに行くたびに、表情がよくなっていた。そのとき、Kさんから「先生、こんど味噌煮込みうどんを食べに行きましょう」と笑顔で誘われた。そして退院してしばらくして、彼の行きつけの店に一緒に行った。退院祝いにおごろうとすると、「お世話をかけたのはこちらですから」と、ゆずらなかった。そしてさらに私にブランデーの瓶を押しつけてきた。

 バブルの頃、人手不足から、彼のように過重労働を強いられ、健康を害した人もいたのではないだろうか。彼の場合は、さらに夜間高校に通っていたわけだから、ほんとうに大変だった。しかし、退院後も欠席することなく、4年間通い続けた高校を卒業した。妻と味噌煮込みうどんを食べながら、彼のことを懐かしい友人のように思い浮かべていた。

 バブルの頃、健康を悪化させながらも、会社のために昼夜働き続けた人たちがいる。そういう人たちも業績が悪くなるとリストラされる。リストラされなかった人にも、ふたたび過重労働が待っている。そして過労死と自殺。そろそろこんな愚かな社会を変えようではないか。

<今日の一句> 味噌煮込み 食へば思へり 友の顔  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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