橋本裕の日記
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かねがね終身雇用制が嫌いだった。一生一つの職業に縛られたくはないし、まして一つの会社に縛られるのはごめんだと思っていた。さいわい公立高校の教員になったので、ひとつの会社(学校)にしばられることはなかった。私はこの24年間で6校もの職場を経験している。
この教師という職業も、できれば50歳くらいでやめたいと思っていた。せっかくの人生だから、もっといろいろな経験をしてみたい。NGOのようなあまり営利に関係がない組織でボランティアとして働くのもいいし、教師を続けるにしても、中国やタイ、あるいはフイリピンあたりの中学校で数学を教えてみたいと思ったりする。その方が刺激的で面白そうだからだ。
田舎に帰って林業や畑仕事をするという選択も考えた。晴耕雨読の生活をしながら、好きな俳句や小説を書いたり、何か哲学的な著作に没頭するのもいいだろう。あるいは世界を放浪して歩くのも面白い。こうした第二、第三の人生の夢を持っているのは、私だけではないだろう。もうとっくに実践している人もいるに違いない。
しかし、一般的に言って、これまでの体制のなかではこういう生き方はなかなかむつかしい。日本の雇用システムがそうした生き方に有利になっていないからだ。現実問題として、年功序列の賃金、定年を前提にした退職金制度や、年金問題、社会保険の問題がある。
つまり終身雇用を前提にしたさまざまな制度が、こうした第二、第三の人生への転出をかなりハイリスクなものにしている。失業して転職を余儀なくされた場合は別だが、私のように安定した公務員の場合、生涯賃金が何千万と違ってくるのである。いまさらリスクのある人生に挑戦しようなどというのは、よほどの物好きか、世間知らずだと思われるだろうし、家族の同意を得ることも、そう容易なことではない。
「日経新聞」新聞の調査によると、企業規模1000人以上の大企業に務める男性社員の標準的な所定内賃金は、25才を 100とすると40才で2.134と2倍以上。50歳代で2.7ー2.9倍前後となり「年功序列型の賃金体系」が鮮明だという。賃金とは対照的に、経営者からみた会社に貢献している社員の割合は、35才の82.6%をピークに年齢を追うごとに減少。50才で71.4%、55才で66.6%に減っている。
能力に反比例するような年功序列の賃金体系も、終身雇用を前提にすればそれほど不合理なわけではない。サラリーマンが一生に手にする生涯賃金は約3億円だという。若いときに少なくもらっても、子育てなどで出費がかさむ中高年になってその分が取り返せれば問題はない。むしろ合理的な賃金体系だとさえいえる。
つまり年功序列型の賃金体系は終身雇用という大前提があって成り立つシステムである。今の団塊の世代が若い頃に、自分の半分も仕事が出来ない中高年が自分たちの2倍も3倍もの高給をもらっていてクレームをつけなかったのは、いずれ自分もそうした配分にありつけると考えたからだ。そのことを理屈ではなく肌で感じていたのである。
ところが時代が変わった。団塊の世代は滅私奉公で会社のために働き、いよいよ配分にあずかろうというときになって、年功序列や終身雇用、さらに年金制度までもう維持できないからといわれ、リストラの対象にされる。たしかに会社としては仕事が出来なくなった高給取りはお荷物以外の何でもない。場合によっては露骨ないやがらせをして、会社を追い出そうとする。会社に忠誠を誓い、社畜とまで呼ばれながらも毎朝朝礼で声を張り上げて社歌を歌っていたのに、これからおいしい分け前にありつこうという時期に、掌を返したような冷酷な待遇を受けることになり、煮え湯を飲まされる思いで会社を去っていく人も多いだろう。
どうしてこうしたことになったのか。書物を読むと右肩上がりの経済成長の終焉をその原因にあげているが、私はむしろ終身雇用や年功序列というシステムにそもそも問題があったと考えている。たとえ経済が右肩上がりでも、こうした人間を会社という小さな世界の所有物にしてしまうシステムはやはり望ましいものではない。人間を自由な個人として扱っていないからである。
若い頃自分の働きに見合った収入を得て、生活にゆとりがあれば、その余剰をどうするかという自由がうまれてくる。それを自分の能力開発に投資するのもよし、株で儲けるのもよい。また将来のために貯金をするのもよい。そうした様々な道を自分の責任で選択することが大切である。こうしたなかから、国際人として必要な視野の広い物の見方や自立的で個性的な生き方が可能になるのだと思う。
それでは、家族を養わなければならない中高年はどうしたらよいのだろう。とくに教育にかかる費用はばかにならない。家のローンがあったりしたら、それこそ悲惨である。とても能力給ではやっていけない。やはり年功序列でなければならないのだろうか。私はそんなことはないと思う。諸外国の例をみれば、このことは明らかである。
結論を言えば、日本の中高年は金がかかりすぎるのである。子供の教育費や住宅ローンにこんなにベラボーに金がかかる国は他にない。外国の場合、義務教育は国家負担だし、大学も公立はほとんどタダである。親が丸抱えで、大学生の授業料や生活費を負担しているのは日本くらいであろう。住宅問題も含めて、これははっきり言って、政治の貧困というべきである。もしこの点が改善されれば、中高年だと言って若い時期以上にお金がかかるわけはない。むしろ出費は少なくてすむはずだ。
私たち日本人はそろそろこのからくりに目覚めて、このいわれのない奴隷制度を抜け出してもよいのではないだろうか。終身雇用などという美名に、ゆめゆめだまされていはいけない。人生、働くことがすべてではないし、雇用されることがすべてではない。「終身」などというおどろおどろしい呪文から自由になって、もっと実りのある人生を明るくさわやかに生きていきたいものである。
日本という国の政治と経済、教育が、こうした自由な個人の人生設計を許容できる寛容なシステムになったとき、ほんとうに自由で豊かな国とよばれるのだろう。そのとき私たちも初めて、本物の豊かさを実感できるはずである。
<今日の一句> 人生は 手ぶらがよし 風薫る 裕
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