橋本裕の日記
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2003年02月08日(土) 自発的貧しさが拓く夢の世界

 アメリカ大統領の一般教書はわかりやすいと言われている。それは大統領が一般国民に、彼らに分かる言葉でよびかけているからだ。日本の首相の所信表明演説は官僚が作成し、難解で勿体ぶった言葉に羅列が続くので、一般国民が読んでも何を言いたいのかわからない。

 さて、1月の一般教書演説で、ブッシュ大統領は「経済成長こそが雇用を生むのだ。アメリカ国民がいま以上に消費し、投資すれば経済は成長する」と述べている。とても分かりやすい表現だが、その内容の幼稚さには驚いた。

「経済成長優先」のこうした考え方は、もう先進国では時代遅れだと思っていたが、それは私の勝手な思いこみで、アメリカでも日本でもこうした考え方が支配的なのだろう。しかし「経済成長」で問題が解決すると考えるのは、あまりに楽天的で現実を知らなさすぎる。

「世界が100人の村だったら」には、「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍」とある。アメリカに必要なの経済成長よりも、こうした富の独占状態の解消ではないかと思うのだがどうだろう。

 もちろんこのことは他の国にも言える。もし世界中の人々がアメリカ人並に一人一台ずつ車をもったらどうなるか。石油は数ヶ月で地上からなくなると言われている。現在地球上に住む2割の豊かな人々が、資源の8割を消費している。もし、残り8割の人が同じだけ資源を消費したらどうなるだろう。

 実のところ、いくら経済成長しても、みんなが豊かになるわけではない。そして、みんなが豊かになったりしたら、そもそもこの地球がもたないのである。こうした基本認識があれば、ブッシュ大統領の演説は正当な根拠を欠いた、きわめて幼稚な幻想に過ぎないとわかるはずである。

 ソローは「森の生活」の中で中国やインドやギリシャの哲学者を例にひき、「ぼくらが自発的貧しさと呼ぶ、優越した視点から見るのでなければ、人間生活を公平に賢明に見ることのできる者はひとりもいない」と書いている。

 これを補うように、ラミスは「対抗発展」という考え方を提案している。「自発的貧しさ」をこれからの人間に必要な「発展」だと考えるのである。物質的な資源には限界があるが、精神の世界にフロンティアはない。そこにはまだまだ巨大な夢やロマンが隠されており、その可能性は無限に広がっている。この地上で有限な資源を奪いあって戦争をするより、無限の精神世界をともに手を携えて開拓する方がよほど楽しいし、実りのある生き方だ。

「対抗発展」という考え方に立つと、これまでのモノサシがあべこべになる。たとえば国の豊かさはこれまでのように「一人当たりのエネルギー消費量」や「二酸化炭素放出量」の「大きさ」ではなく、その反対に「小ささ」で測られる。車の数の多さではなく、少なさで国の豊かさが測られる。つまり、このモノサシをつかうと、世界で一番の開発途上国はアメリカや日本ということになる。

 私はこのモノサシが世界のモノサシになる日がくることを願っている。しかしこのことは、何も私たちが先進的な科学技術をすてて、原始時代に戻れということではない。まさにその反対である。もっと科学技術や私たちの良識をさらに高度に発展させて、レベルの高い文化や文明を築こうという壮大な計画なのだ。

「対抗発展」というのは、つまりは未来に向けて私たちが生き延びるための哲学であり、叡智と夢にあふれた挑戦なのである。そのベクトルの向きはこれまでの豊かさの向きとは反対である。そこには巨大な建物も塔も空母も原子力発電所もないかもしれない。それは一見貧乏への後退のようだが、新しいモノサシが分かる人には、それはもう一つの豊かさへの前進である。みんなが金持ちになることはできない。しかし、みんなが豊かになることはできる。

<今日の一句> 上着脱ぎ 日差しをあびて 歩きけり  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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