橋本裕の日記
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2003年02月05日(水) 人はいかにして労働者になったか

昨日は全滅したタノイ族の話をした。タノイ族に限らず、西洋に支配された先住民の人々は同じような悲哀を経験したことだろう。一つの強力な文明による専制支配があるところ、地の文化の破壊はまぬがれがたい。このようにして、世界の歴史はたびたび塗り替えられてきた。

 貨幣経済を知らない先住民は、征服民からみれば未開人である。自然の恵みの中で自給自足していた彼らは賃金労働というものをしらない。そもそも労働ということに慣れていないのである。怠け者の彼らを働かせるのは容易なことではない。

 そこで征服者はどうしたかというと、先住民の生活基盤の自然を破壊することをはじめた。つまり豊かな森があり、そこで食べ物も薬も建築材料もすべて手に入る間は彼らは働こうとしない。しかし森がなくなれば、もはや先住民達は自給自足はできない。

 森を伐採した後に、コーヒー園やゴム園を作る。そうすると生活基盤を失った先住民達は、プランテーションの労働者となるしか生きる道はない。そこで働いて賃金を受け取り、それで生活必需品を買うことになる。こうして未開の地に西洋流の貨幣経済が持ち込まれる。あとは経済の法則によって、彼らはいやおうなく奴隷労働に駆り立てられる。そして農園主は裕福になるわけだ。

 アメリカの大学で政治学を研究し、日本の大学で長年教鞭を執ってきたダグラス・ラミスは「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」という魅力的な著作の中でこう述べている。

<第三世界の人たち、南の国の人たちはヨーロッパの経済を見てそれに惚れ、みずから自分の文化を捨ててそれが欲しくなったということになっている。変えられたのではなく、みずから変えたというわけです。そういう物語を、何度も読みました。けれども歴史の事実は違います。今の世界がどういう過程でできたのかを知らないと、今の世界は何なのかということもわからない>

<私たちが経済発展と呼んでいること、それは地上のすべての人間、すべての自然を産業経済システムのなかに取り入れるということなのです。それが経済発展の具体的な中身であって、それが数百年続いてきた>

<私たちが今の世界を見るとき、うまくいっているところは発展されている、人がたくさん苦しんでいるところは「発展途上国」「まだ発展が足りない」というふうに分けていますけれども、それは幻想です。「発展した国」も「発展途上国」もすべて、発展という過程が作った世界だと考えるべきなのです>

 ダグラス・ラミスは「発展途上国」はやがて「発展」して、「発展した国」いわゆる「先進国」になるのだというのは幻想だと言っている。貧乏人も努力すればやがてみんな裕福になれるという考え方があるが、これも幻想である。なぜなら世の中は実際そのような構造になっていないからだ。このあたりのことを、明日の日記でもう少し書いてみよう。

<今日の一句> 春立ぬ 御岳白き ままにして  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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