橋本裕の日記
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| 2003年01月31日(金) |
帝国への道を歩むアメリカ |
昨年の一般教書演説でブッシュ大統領はイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ。今月28日に連邦議会で行った一般教書演説では、「米国と世界の最も重大な危険は、大量破壊兵器の入手をたくらむ無法者政権である」と述べた。
現在、イラク周辺に10万人ほどのアメリカ軍が展開している。いつ、イラクへの武力進行が始まってもおかしくない状況である。世界の世論はアメリカのこの強硬姿勢に反対していた。しかし、ここへきてプーチン大統領はアメリカの武力介入を容認する発言をしはじめた。イタリアもアメリカ軍への基地提供に同意した。少しずつ、世界はアメリカ大統領の望む主戦論へ傾きつつある。
アメリカといえば民主主義の旗手のように言われている。私はこの数年「政治論」を書くために、いささかアメリカの歴史について勉強した。そして分かったことは、決してアメリカは民主主義の国ではないということだ。それは建国の歴史を少し調べてみればわかる。建国の父達は決してアメリカを民主主義の国にするとは言っていない。むしろ民主主義を敵視する共和主義者たちによってこの国は創られた。
<憲法制定会議の議論の中で、賛成派と反対派を問わず、この草案を「民主主義」と呼ぶ人は誰もいませんでした。草案作成の中心人物であったA・ハミルトン、J・マディソン、J・ジェイの三人がそれを説明したり弁護したりするために論文を新聞に掲載しましたが、それが「フェデラリスト」という名の本になっています>
<そのなかでこの憲法は、民主主義ではなく共和制であると説明されています。つまり、この制度はヨーロッパにあるような国王制でも貴族制でもないが、過半数の民衆が権力を握れないように細かく配慮してあるので(選挙ではエリートしか選ばれない、など)、安心して下さいということです>
<当時の民主主義者はこれを芽生えたばかりの民主主義をつぶそうとするものだと読みとって、反対運動(反連邦運動1788〜89)を起こしましたが、エリート勢力には勝てませんでした。ともかく、今のアメリカ合衆国憲法を書いた人は民主主義の国をつくるつもりではなかった。これは世界にあまり知られいないし、アメリカのなかでも聞いて驚く人がいます>
<民主主義はその後も数十年間にもわたって反対派のイデオロギーでした。1830年代にそれが変わりはじめたのです。制度が変わったのでも憲法が変わったのでもなく、民主主義の定義が変わったのです。代議制は民主主義であるという言い方はその段階から始まった。同時に、民主主義の理念は、反対派の理念から国家イデオロギーにかわったのです>(「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」 ダグラス・スミス著、平凡社)
私はアメリカの共和制もまたいずれ廃止されて、皇帝が支配する帝国になるのではないかと思っている。ブッシュでは無理だろうけど、たとえばレーガンのような人物が出てきたら、アメリカ国民はよろこんで彼を皇帝にむかえるのではないだろうか。
過去の歴史を見てみればこのことはよくわかる。ローマの民衆はシーザーを愛し、その後継者のオクタヴィアヌスを皇帝にした。フランスの民衆はナポレオン皇帝を歓呼で迎えた。支配されることに慣れた民衆は王様を欲しがるものだ。とくにヨーロッパ系の人々には神聖ローマ帝国にたいする憧れがある。
皇帝は戦争の総司令官であり、戦時体制を前提にした統治システムである。ローマのように版図が拡大すると、あちこちでいざこざが絶えなくなる。合議制でやっていたのではまにあわない。そこで独裁的な権力者による効率的な統治が必要になってくる。ローマが元老員中心の共和制から皇帝による独裁政治へ移行したのもこのためだった。
ギリシャの都市国家の場合、最後まで民主政治が行われたのはそれぞれが独立していて、版図がちいさかったからだ。そこでは直接民主主義が可能になる。少し整理すると、版図が大きくなるにつれて、<直接民主制→代議制→独裁制>ということになる。
代議制(共和制)はアリストテレスによるともはや民主主義ではなく、貴族政治だそうだ。だから、アメリカやイギリス、日本の政治は正確に言うと民主主義とは言えない。アテネがそうだったように、民主主義は役職や議員をすべてクジできめるのでなければならない。
アメリカもこれから世界の覇者としてさまざまな戦争や紛争に介入することが多くなると、いちいち合議制でやっていたのでは間に合わなくなる。そこで帝国へと移行する可能性が出てくる。日本がアメリカ帝国の属領になる日もちかいのかもしれない。いやすでに世界の人々は、日本をアメリカの属領と思っているのに違いない。
<今日の一句> 遠き日の ほのかに匂ふ 雪明かり 裕
昨日はこの冬一番の寒波だった。吹雪の中を電車を乗り継いで出勤した。6:30に家を出て、学校に着いたのは8:20頃だった。車なら40分のところを、2時間近くかかった。年に1,2度こういうことがあるが、電車の窓から雪景色を眺めるのも、たまにはいい。雪景色は雪国育ちの私を遠い日への郷愁へと誘ってくれた。
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