橋本裕の日記
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| 2003年01月28日(火) |
平和祈念施設の設立を望む |
小泉純一郎首相が今月14日に靖国神社を突然参拝した。今回も中国や韓国などから批判の声があがるのを承知の上での参拝だった。福田長官は小泉首相の「個人的心情」を強調しているが、それならそれでまた別の表現手段がなかったのだろうか。
実は私も4年前に靖国神社に参拝している。従軍看護婦の遺品や手紙を読んだとき、おもわず涙がこぼれそうになった。そこにおいてあった感想ノートに、「とても悲しい。こんな悲惨な戦争は二度とごめんだ」と書き付けた記憶がある。他の人の感想も読んでみたが、おおかたそのような内容だった。
この度の小泉参拝について、毎日新聞の世論調査では、「評価する」が47%、「評価しない」が43%だったという。自民党支持層では「評価する」の73%が「評価しない」の22%を大きく上回った。数字だけから見ると、評価するという声の方が多くなっている。しかし、国民の半数近くが、首相の靖国参拝を評価しないとしているわけだから、首相はこの声にもう少し声を傾けるべきだと思う。
国民が首相の靖国参拝に反対するのは、東条英機などのA級戦犯が合祀されているからだろう。また、靖国神社は戦前の国家神道の象徴的存在でもあった。そもそも閣僚や首相が公人の資格で参拝することは政教分離をうたった憲法に違反している行為である。
同じく毎日新聞の世論調査によると、「国立で無宗教の追悼・平和祈念施設を建設する」との構想については、「賛成」が58%を占め、「反対」の27%を大きく上回っている。私もこの案に賛成である。
やはり靖国神社にはあまりにも軍国日本のイメージがしみついている。外国の反発があるからと言うのではなしに、私たち日本人自身が、過去の過ちを認め、未来へのあらたな決意を示すためにも、平和祈念施設を早急に実現させたいものだ。
ところで日本の戦争責任について書かれた本の中で、私が共感を持ったのは吉田裕著 「昭和天皇の終戦史」(1992年、岩波新書)である。その結びの部分を少し長くなるが引用しておこう。
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<天皇の戦争責任の問題が封印され、マスコミや学校教育のレベルで事実上タブー視されたことは、この国の戦争責任の展開をきわめて窮屈なものにした。本来、戦争責任論とは、政策決定の当事者であった権力者の責任を追及するという次元にとどまらない、裾野の広がりをもった議論である。それは、戦争の最大の犠牲者であった民衆にも、戦争協力や加害行為への加担の責任を問い直すものだし、侵略戦争と天皇制に一貫して反対したという点からいえば戦争責任とは最も遠い位置にあるコミュニストとその党=日本共産党に対しても、なぜ、より有効な反戦闘争を組織することができなかったのかという点で、戦時下の自己の思想と運動に関する真摯な自己点検を強いるものである。また、右翼に関しても、それが戦後、思想運動として生き残ろうとするかぎり、敗戦の原因や天皇制のあり方についての本質的な議論が必要だったはずだ。
しかし、国家元首であった天皇の責任がタブー視され、戦争責任のなかに最初から大きな例外規定が設けられることによって、戦後の戦争責任論は国民的なひろがりを欠く結果となったのである。
もう一つの問題は、すべての戦争責任を軍部に押し付けることによって政治的なサバイバルに成功した「穏健派」のなかから、戦後の保守政治をになう主体が成長してきたことである。この結果、パワー・エリートの人的構成という面では、戦前-戦後の「断絶」より、「連続」が主たる側面となった。
同時にこのことは、「穏健派」の政治的スタンスをある意味ではもっともよく代表していると考えられる天皇の戦争責任が封印されタブー視されたこととあいまって、「穏健派」全体の戦争責任、とくにアジアに対する戦争責任が曖昧にされたことを意味していた。
以上のことを歴史認識の問題としてとらえ直してみると、わたしたち日本人は、あまりにも安易に次のような歴史認識に寄りかかりながら、戦後史を生きてきたといえるだろう。すなわち、一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧を加える粗野で粗暴な軍人を置き、他方の極には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的なシビリアンを置くような歴史認識、そして、良心的であるが政治的に非力である後者の人々が、軍人グループに力でもってねじ伏せられていくなかで、戦争への道が準備されていったとするような歴史認識である。そして、その際、多くの人々は、後者のグループに自己の心情を仮託することによって、戦争責任や加害責任という苦い現実を飲みくだす、いわば「糖衣」としてきた。
しかしそのような、「穏健派」の立場に身を置いた歴史認識自体が、国際的にも大きく問い直される時代をわたくしたちはむかえている。すなわち、社会主義諸国の崩壊に起因した冷戦体制の解体によって、そもそも冷戦期の産物である「穏健派」史観そのものの見直しが不可避となった。また、アジア諸国との関係も、東京裁判の段階と大きく変わった。東京裁判の段階では、日本の侵略の主たる対象となったアジア諸国は、いまだ独立か建国の途上にあって、その国際的発言力もきわめて小さいものでしかなかった。東京裁判は、これらの諸国の意向をほとんど無視することによって初めて成立することができたのである。しかし、そのアジア諸国もその後しだいに国際的な発言権を強め、アジア諸国との安定化を求める日本政府としても、これらの国の対日要求にある程度の考慮を払わざるを得ない状況になってきている。そうしたなかで、これらの国々の間から、日本の「戦後処理」に対する批判の声が急速に高まりつつあるのが現状である。
こうした声に誠実に対応するかぎり、わたしたちは、日本の戦後処理を支えた歴史認識そのものを、自らの手で問い直さなければならないのだと思う>
--------------------(引用終わり)----------------------
<今日の一句> 冬枯れの 庭を眺めて 紅茶飲む 裕
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