橋本裕の日記
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田中の金権金脈でいつもやり玉にあがるのが、信濃川河川敷買い占め事件であろう。地元民から洪水で苦しんでいるという苦情を受けた角栄は、「そんなに困っているのなら、オレがその土地をみんなかってやろう」ともちかける。
そうして地元民が喜ぶような値段で、土地をまとめがいする。そので終われば美談だが、このあとが角栄らしいところで、政治力を使って、そこに立派な堤防を作り、橋を2本もかる。こうして1億円で買った土地が、時価700億円の土地に大化けした。
まさに驚くべき錬金術である。もっとも、この錬金術は、彼が官僚に圧倒的な支配力をもつ政治家だからできたことだ。建設省事務次官だった高橋国一朗は新聞のインタビューに答えて、こう述べている。
<田中さんと官僚の関係ですか。やっぱり僕らは道路財源を確保するガソリン税法などを通じて、田中先生に大変な恩義を感じていますから。頼まれたことはできるだけ協力するのにやぶさかではなかったですね。私に限らず建設省としてですね>(「発掘 田中角栄」新潟日報)」
つまり、ここでも角栄は地元民に恩を売り、しかも自分はしこたま利益を手にしている。角栄はこのようにして、選挙民の苦情を解決して、圧倒的な支持を得ると同時に、自分はその何倍もの利益を手にしていた。
田中角栄は道路族といわれる議員のドンだった。道路、橋、トンネル、港湾設備、ダムなど、角栄は建設省のやるすべての仕事ににらみをきかせた。そのかわり、官僚をあつくもてなした。建設省関係の特殊法人をたくさんつくって、そこに建設省関係のOBを次々と天下りさせていった。さらには、多くの建設省OBを田中派から選挙に送り出した。そして田中派は建設大臣のポストを握り続けた。
地元民、官僚、政治家、そして建設業者のだれもが得をするシステムである。田中派の代議士は選挙のたびにこれらの人々の献身的な協力によって当選を続た。こうして日本の政治を独裁した。田中派はときには「田中軍団」と呼ばれ、彼はその「将軍」とも「天皇」とも呼ばれたが、国民からは「今関白」と呼ばれて親しまれた。田中派の代議士は彼を「オヤジ」と呼んで慕った。
彼は当時の多くの人々にとって幸せをもたらす「福の神」だった。しかし彼が築き上げた金権・利権のシステムの中で、人々の心から貴重な何かが確実に失われて行った。後世の歴史家は彼をどう評価するだろう。彼こそ日本人の心を堕落させ、国を「亡国」へと導いた元凶だと指弾するのではないだろうか。
<今日の一句> 鳥あそぶ 河原を見れば 冬すすき 裕
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