橋本裕の日記
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2003年01月08日(水) 角栄の夢みたこと

 政治は二つの側面を持っている。ひとつは、国のあるべき進路を決め、そのために意志決定をするということ。これを政治の公的側面と呼ぶ。もう一つは、構成員のあいだの利害の調整である。これを政治の私的側面と呼ぼう。

 田中角栄はこの両面において、よきにつけ悪しきにつけ傑出た政治家だった。そこで、今日は彼の政治家としての歩みを、公的側面から見てみよう。角栄は政治家として、どんな理念をもち、どんな政策を持っていたか。また、そうした理念や政策や、政治家としての信念はどこから生まれたかということである。そのためには、彼がどんな生い立ちを持ち、どういう経緯で政治家を志したかを見ておかなければならない。

 田中角栄は大正7年5月4日に、新潟県刈羽郡二田村の古い農家に生まれている。高等小学校を卒業した昭和8年ころは不景気まっさかりで、適当な仕事がなかった。そこで、土方になる。収入は一日50銭だったという。

<現場には、おもしろいおじいさんがいて、私にこんな話をしてくれた。「土方土方というが、土方はいちばんでかい芸術家だ。パナマ運河で太平洋と大西洋をつないだり、スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのもみな土方だ。土方は地球の芸術家だ>(「私の履歴書」田中角栄)

 角栄はこのあと16歳で上京し、土木会社の住み込み小僧をしながら夜学に通った。軍隊に行き、満州で初年兵の苦しみを体験し、戦地で結核を患い、内地の病院に送られるが、仙台の病院では1週間ほど危篤に陥った。しかし、彼は病を克服し、社会復帰すると猛烈に働きだした。25歳の時は「田中土建工業」を創設し、社長になっている。そして、この会社を足場にして、国政選挙に打ってでる。そのときこんな大きな夢を語っている。

「新潟と群馬の県境にある三国峠を切り崩してしまえ。そうすれば、新潟に雪が降らなくなって、新潟は雪の苦しみから逃れられる。切り崩した土は海に運んで、新潟と佐渡をつないでしまえ」

 その後、田中角栄は政治家として頭角をあらわし、自民党の幹事長になり、総理大臣にまで上り詰めるわけだが、その間、一貫して国土開発の夢を持ち続ける。山を切り崩して、日本国中に道路を造り、海を生み建てて国土を造成し、産業を振興させ、庶民に豊かな暮らしをさせたいというのが、彼の政治家としての理念と政策であり、そしてそのために彼はあらゆる手段を行使することをいとわなかった。

 彼が議員立法として成立させた法案は33件にのぼり、この抜群の記録はいまだに破られていない。そして、その法案の多くは「国土開発」とそのための「特殊法人」に関するものである。小泉改革で廃止が決定している「日本道路公団」「首都高速道路公団」「日本鉄道建設公団」「日本住宅公団」「本州四国連絡橋公団」など、すべて角栄が成立させたものだ。角栄は自分は一番法律に詳しい政治家だと豪語していたが、実績をみるかぎりホラではない。

 また、彼は誰も考えないことを考え、実行するアイデアマンでもあった。たとえば、彼が昭和28年に議員立法でつくった「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」はガソリン税を道路建設の財源にするというおよそ当時としては考えられない常識破りの法案だが、これが国土建設の基本的なシステムとして働き、現在にいたる道路建設に潤沢な財源を与えてきた。

 ちなみに2002年のガソリン税の総額は5兆5千億円である。防衛費の2倍をこえている。しかもこれは国の正規の予算ではなく、すべて特別会計である。これに一般会計の公共事業費が加わるわけだから、建設省と土建業界は笑いが止まらなかった。こうして日本は角栄が夢に描いた「土建国家」として発展し、未曾有の高度経済成長をなしとげることになった。こういう国の将来を作る背骨となるような法案を、まだ30代前半だった田中角栄が作り上げた。このあと田中は39歳で戦後最年少の郵政大臣になっている。

 角栄は日本の政治家には少ない夢を持ち、それを熱く語り、そしてそれを実現する手腕をもった政治家だった。戦後政治をつねにリードし、エネルギーに満ちた日本復興の立て役者だった。彼は火の玉のような男であり、日本を動かす強力なエンジンだった。田中はロッキード事件で倒れたが、彼の死後も彼の築いたシステムは生き残り、その結果経済が過熱して土地や株が値上がりし、とうとうバブルとなって弾けた。

 あとにのこったのは、国民に夢を語ることの出来ない矮小な政治家や官僚たち、そして彼らと業界の利権構造のなかで蓄積された目のくらむような国の財政赤字と、未来に展望を見いだせないしょぼくれた大勢の国民である。角栄なき後、政治家はだれも国民に美しい夢を語ることをしなくなった。彼らがやっていることはただの権力闘争であり、自分たちの私腹を肥やすことだけである。

 私は田中角栄が語った「日本列島改造」の夢をあるていど評価している。苦労人の彼が、自分の体験のなかから、幸せとは何かということを考え、そこか育まれた気宇壮大な夢である。しかし、残念ながらそこには人間の幸せに対するいくつかの誤解があった。

 そのことに気付かなかったことが、苦労人田中角栄の限界であり、それはとりもなおさず彼の語る夢に酔いしれていた私たち国民の限界だった。今必要なのは、もう少しましな夢を語ることの出来る、もうすこし上等な政治家なのである。そしてそのために必要なのは何か。それは国民や政治家がもう少し「幸福とは何か」を自分の頭で考えること、つまり「哲学」を持つことだろう。

(参考文献) 「田中真紀子研究」 立花隆 文芸春秋
         「田中角栄とその弟子たち」 久保紘之 文芸春秋
         「異形の将軍・田中角栄の生涯」 津本陽 幻冬社 

<今日の一句> 正月の 思い出のこす 注連飾り  裕


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