橋本裕の日記
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33.別れの予感 初夏の風に、町子のキュロットの裾がふくらみ、白いもち肌が覗いていた。私はそのあわいから手を滑り込ませ、彼女のあたたかい下腹部のふくらみに掌を押しあてた。もう片方の手は、セーターの上からやわらかな胸の感触を捉えていた。セーターがずれて、静脈の浮いた肩があらわれた。
接吻をしながら、町子の肩がわずかに震えているのに気付いた。やがて彼女の喉から、ひくっ、ひくっ、という音が漏れてきた。身を離した彼女は、セーターの胸を押さえながら、 「私ったら、馬鹿みたい」 「なんだ、しゃっくりか」 「びっくりさせるんだもの」 顔をしかめると、また、ひくっと喉を鳴らした。
私は苦笑して立ち上がった。赤い電車が鉄橋を渡っていくところだった。対岸では魚釣りをしていた男達がこちらを眺めていた。鉄橋の電車の音が消えて、川の音が響いてきた。
しゃっくりの収まった町子は、ふたたび石塔をつくりはじめた。私はそんな彼女をぼんやりと眺めた。荒涼とした石ころばかりの河原が、異次元の世界のように感じられた。彼女の影だけが風の中で揺れていた。
小石を積んでいる彼女の横顔がいつになく真剣で、塔が今までより高かった。厳かな手つきで最後の小石を載せたあと、彼女の手にひとつ小石が残っていた。 「壊したい?」 町子は能面のような微笑を浮かべて私を見た。私が首を横に振ると、町子は立ち上がって、力任せに小石を投げた。石塔が音を立てて崩れた。 町子のやさしい顔が、その瞬間だけ夜叉のように見えて、私は胸を突かれた。 帰り道、押し黙って歩く彼女の傍らに身を寄せて、手を握ってみた。その手を彼女は軽く握り返してくれた。
町子は運転をしながら、音楽を聴いていた。アパートの前に着いたとき、私は助手席から手を伸ばして、彼女の膝に触れた。 「寄って行かないか」 このまま帰したら、再び会えないかも知れないと思った。町子は唇を噛んで、前を向いていた。キュロットから伸びたほっそりした膝が、小刻みに震えていた。 「ごめんなさい」 町子はハンケチを取り出すと、片頬を拭ってから、頭を下げた。私は彼女の膝からあわてて手を離した。
午後の日差しの中を遠ざかっていく白い車を見送りながら、私は町子との終わりを予感した。それは私が考えていた結末とはいくらか違っていた。アパートの階段を上る足取りが、しだいに重くなった。
キッチンのテーブルの上に、紅茶とピザが残っていた。私はピザをつまみあげると匂いをかいだ。彼女の瞳と声が甦り、しゃっくりを思い出した。冷えたピザのほのかな香りが、心の底にしみてきた。
石の河原で、 積み上げた小石を崩した。 日盛りの風の中に、 女の影が動いた。 唇は笑っていたが、 目は怒り、頬は泣いていた。 女を悲しみの岸に誘った。 彼女のあおじろい裸身が、 この世でいっとう美しい、 もう一匹の夜叉になることを、 ひそかに夢見ながら。
(第一部 終わり) 第一部の縮約版が「賽の河原」が出来ました。
<今日の一句> 赤塗りの 郵便ポストに 雪帽子 裕
昔なじみの、赤塗りの郵便ポストが近所に立っている。昨夜からの雪で、辺りは白く雪化粧した。おそらく、郵便ポストの頭には、雪帽子が置かれていることだろう。出かけていって、写真を撮ろうかと思ったが、寒いのでやめた。
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