橋本裕の日記
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この冬一番の寒波だそうだ。しかし今のところ、私の住んでいる一宮市に積雪はない。ふるさとの福井の家はどうだろうか。たぶんひっそりと雪に埋もれているのではないだろうか。そんなことを考えているうちに、今日の一句が浮かんだ。
ふるさとや 古きいらかも 雪の中 裕
雪が降ると、きまって三好達治の「雪」という詩を思い出す。有名な詩なので、日本人ならだれもが知っていて、愛唱しているのではないだろうか。たった二行の短詩だが、とてつもなく広くてゆたかな世界を感じさせる。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
詩について書かれた本の中で、私が一番影響を受けたのは、大岡信さんの「詩への架橋」(岩波新書)だろう。大岡さんがどのようにして短歌や詩と出会い、自ら詩人になっていったのかよくわかる。彼自身がその半生で出会った俳句や短歌や詩がたくさん引用されているが、「雪」もその中に入っている。そして秀逸な鑑賞文として、井伏鱒二の文章が紹介されている。
「四歳か五歳の太郎次郎が青い鳥を探しあぐね、疲れ切って寝床で眠っている。ところが青い鳥は、いつの間にか囲炉裏端にきて泊まっている。こんな説明は蛇足だが、ともかくこの詩は、今、しんしんと雪を降りつもらせている」
いきなり「青い鳥」が出てきて驚かされるが、大岡さんは、<これは全く突飛にみえる空想だけれど、一たん書かれてしまえば、これほどこの詩にふさわしい、そっと詩を見守りつつ詩の中身を濃くさせた鑑賞もなかったように感じられる。詩人の心をもう一人の詩人の心がさりげなく、まっすぐに射抜いたのである>と書いている。
銀をたくさん持っている者はしあわせだろう。 妻をたくさん持っている者は嬉しいだろう。 だが、何も持っていない者は眠れるだろう。
大岡さんはシュメール人が五千年前に粘土板に刻んだこれらの詩をいくつか引用したあと、<こういうものを読むと、人類の科学技術や文明生活の便宜がいかに驚異的な進歩をとげたところで、人間自身はむかしから今にいたるまでえんえんと続く「人間喜劇」の幕間狂言を、楽しげに、あるいは哀れに、演じつづけている点で変わらないのではないか、という思いに襲われる>と書いている。
この本が発刊されたのは1977年だ。同じ頃、「詩への架橋」という題で大岡さんの講演会があった。私はまだ学生だったが、さっそく聴きに行った。そして私はおおいに感動した。
<人間は誰しも、「あかずの部屋」を心の奥深く持っているのです。その部屋の扉は容易なことでは開きません。ほとんど、一生の間、開かないで終わることのほうが多いのです。ところが、ここに言葉というふしぎなものがあって、その扉をそっと開けてくれることがあります>
人の口から出る言葉というものがこれほど力があって、そして美しく、魂の奥深くしみとおってくるのかと驚いた。大岡さんの口から出た魔法の言葉が、まさしく私自身の心の奥深くに眠っていた「あかずの部屋」の存在をあきらかにし、そして、おどろいたことに、そこをそっと開けてくれたのである。
<今日の一句> ふるさとや 古きいらかも 雪の中 裕
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