橋本裕の日記
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2003年01月04日(土) 俳句のたのしみ

 去年の4月から始めた「一日一句」だが、9カ月続いて年を越した。あと3カ月続けばめでたく一周年である。読み返してみると、春、夏、秋、冬と、その時々の自然の豊かさが実感される。ああこんなこともあったなと、なつかしい情景が目に浮かぶ。スナップ写真を見るような楽しさがある。

 俳句は何よりも短いのがいい。作るのも簡便だが、読むのも簡単だ。それでいて、自然の風物や生活の息吹が感じられる。もう何百年も伝統があるので、先人の作品を読む楽しみもある。つぶやいているうちに、愛着がわいてくる佳句も少なくない。

 俳句は他人の句を読むのも楽しいが、作るのが一番だと思っている。作ってみればいろいろなことがわかる。わずか17音の小さな世界が、実は意外と自由で、広々とした世界だということも分かってくる。ほんとうの自由が何かと言うことが実感できる。

 私はむつかしい理屈は知らず、気儘に作っているが、ただ、読んだ本の中に、「俳句の生命は切れ字にある」と書いてあったのは覚えていて、いつも心に留めている。

  古池や かわずとびこむ 水の音   芭蕉

 この句で言えば、「古池や」が「切れ字」になっている。これがあるので、この句は名句なのである。もし切れ字がなかったらどうだろう。

  古池に かわずとびこむ 水の音  

 これではただの凡句だ。意味が切れることで、そこに人生の無限の深みがあらわれる。この沈黙こそ、俳句のいのちである。俳句の言葉は、この沈黙を導くための道しるべである。俳句を味わうということは、この沈黙を味わうということだ。俳句の詩としての美しさはここにある。

<今日の一句> 門松を ひとつ見つけて 引き返す  裕


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