橋本裕の日記
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万葉集では歌がさまざまな観点から分類されているが、歌い方としては、� 崟欺區棺錙瓩燭世砲�もひをのぶる」方法と、�◆峇麒�陳思=ものによせておもひをのぶる」方法があげられている。正述心緒の歌には次のような作品がある。
世の中は空しきものと知る時し いよよまさりて悲しかりけり (巻5−793 大伴旅人)
しかし、基本は「寄物陳思」(きぶつちんし)、つまり、「物に寄せて思いを陳べること」だろう。主情だけを述べたのでは印象が弱い。客観物に託して述べればイメージが浮かぶので、それだけ感動が深くなる。
君が行く道の長路を繰り畳ね 焼き亡ぼさむ天の火もがも (巻15−3724 狭野茅上娘女)
これは正述心緒の歌とも言えるが、「君が行く道の長路」「繰り畳ね焼き亡ぼさむ」という具象が入って、歌が生き生きとしている。
み熊野の浦の浜木綿ももへなす 心は思へどただに逢はぬかも (巻4−496 柿本人麻呂)
夏の野に繁みに咲ける姫百合の 知らえぬ恋は苦しきものそ (巻8−1500 大伴坂上郎女
わが宿の夕かげ草の白露の 消ぬがにもとな思ほゆるかも (巻4−594 笠 女郎)
万葉集には��「譬喩」の歌という分類もある。事物それだけを述べて、心に思うことを譬えるものだ。ある意味ではもっとも客観に徹した事実の歌だといえよう。しかし、これも「寄物陳思」と言ってよい。事物の背景に主観が潜んでいる。
若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る (巻6−919 山部赤人)
軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに 玉藻の上にひとり寝なくに (巻3−390 紀皇女)
わが宿のいささ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕べかも (巻19−4291 大伴家持)
最後に現代短歌から一首。これは万葉集の分類でいうとどれにあたるのだろう。� ↓◆↓�の中から選べなどという愚問はしないでおこう。
観覧車回れよ回れ想ひ出は 君には一日我には一生 (「水惑星」 栗木京子)
<今日の一句> 凧あげて 洋菓子食べて お正月 裕
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