橋本裕の日記
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| 2002年12月31日(火) |
暴力少年・N君の軌跡(2) |
今日は大晦日。今年最後の日記である。何かそれにふさわしい話題で決めてみようかと思ったが、一昨日の日記の続きが残っている。まずはこれを仕上げないと、年が越せないようだ。
ちょうど4年前の今頃、N君が家出をした。正月に福井に帰省していた私は、3日に指導部長からの連絡でそのことを知り、驚いてN君の家に連絡した。年末に父親と衝突し、父親の「勝手にしろ」という言葉で、家を出たのだという。4日たっても、本人からは何の連絡もないということだった。
これで正月気分は一気に吹き飛んだ。両親は毎日、ゲームセンターなど本人が行きそうな所をさがして歩いているという。しかし、手がかりはない。私も心当たりをあたってみたが、手がかりは得られなかった。やがて新学期が始まったが、N君は登校しなかった。
荒れていた割りに、私のクラスからは不登校のA君のほか一人も退学者は出ていなかった。教室がサロン化していたので、学校へ来て、授業中もおしゃべりをしたり漫画を読んだりするのが楽しいのだろう。N君もそのうちに来るだろうと思っていたが、結局彼は姿を現さなかった。
そのうちN君について、少しずつ情報が集まってきた。N君は何かの事件に関係していて、警察に逮捕されるのを恐れていたというのだ。そのために身を隠したのではないかという。日頃のN君の行動を見ていると、そんなこともあるかもしれないと思った。父親や母親にはそうした情報を伝える気にはなれなかった。たぶん両親も知っている筈である。
3月に入って、本人不在のまま「退学届」が出された。私はN君の教科書やジャージ、シューズなどの荷物を段ボールに入れて、彼の家を訪れた。これまで何回となく訪れた家もこれが見納めかなと思った。私はN君にもその両親にも、それほど同情がわかなかった。おかげでクラスは崩壊し、私は不眠症と高血圧に悩まされ、耳鳴りや動悸までするようになっていた。この一年間の悪夢から解放されるのかと思うとほっとした。
チャイムを押すと、母親が出てきた。段ボール箱を受け取りながら、「先生、すみませんでした。私たちの教育が間違っていました」と頭を下げ、あとは肩をふるわせてあふれる涙をぬぐっていた。気の強いきれいな奥さんの、この変貌に私は胸を突かれた。母親の悲しむ姿を、N君に見せてやりたいと思った。
その後、母親は家を去り、実家に帰ったようである。N君の家出によって両親は離婚し、家庭は崩壊した。しばらくしてN君が「俺は退学なぞしていないぞ。担任を出せ」と言って、学生服姿で学校に乗り込んできたことがあったが、私はさいわい図書館にいて、N君と顔をあわせることはなかった。やがて裁判所から書類が回ってきた。N君は鑑別所に送られ、更生のための指導をうけることになったようだ。その後しばらく、N君の消息は聞かなかった。N君の同級生も、すでに去年の春に卒業した。
ところが、この10月に、いきなりN君から学校に電話が入った。 「先生、Nだけど、覚えているかよ。大検受けたいんだ。どうしたらいい」 穏やかな口調だった。話を聞くと、家に帰っているという。父親は離婚した後、今は別の女性と再婚し、N君も一緒に暮らしているらしい。大検を受けて、将来は大学に進学したいという彼に、私は声援を送った。しかし、「一度学校へ相談に来い」という言葉を、私は呑み込んだ。
その数日後の夕方、職員玄関を出て駐車場に歩いているとき、「やあ、先生」と二人連れの大柄な茶髪の青年にニコヤカに声をかけられた。そのうちの一人がN君だった。咄嗟には分からないほど大人びていた。もう一人はやはり4年前に私のクラスで、「担任死ね」と落書きをしていた卒業生のY君。彼の家にも何度か訪問したことがある。私は「おっ」と言ったきり、言葉がでなかった。
<今日の一句> 年の瀬に おはぎを食べて 日向ぼこ
年の瀬になると、前の家のガレージから餅をつく音が響いてくる。やがてきなことあんこで包まれたあたたかいおはぎをもってきてくれる。それが私の家の昼飯である。毎年、必ずくれるので、あてにしている。
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